きぬかけの道を歩いた日、龍安寺にも行きました
大雲山龍安寺
臨済宗妙心寺派
元は徳大寺氏の山荘だったものを、
宝徳2年(1450) 官僚細川勝元が譲り受け創建しました
開山は、妙心寺の義天玄承禅師
「石庭」
十五個の石を配してあるものの、十五すべてをひと目で見るのは難しく、
なぜ見えにくい様にしてあるのか、
「満つれば欠くる」
「15」を完全なものとすると、完全は決して良い事ではない
という考え方です
人間は、完成し満たされるより、
未完のところから、完成へ近づこうと一生懸命励んでいる事を良し、とする
だから、敢えてすべての石を見尽くしにくい様にしてあるとも言いますが
この石庭の意味するものは、謎に包まれています
この庭は優れた禅僧達によって造られたと伝わります
石庭を囲む土塀は、なたね油が土に混ぜてあり、
それ故、油が変化するに連れ塀の色を変えてきました
皆さん熱心に鑑賞されていました
外国の方も、修学旅行の女学生も
水戸光圀公の寄進といわれる「つくばい」
茶室「蔵六庵」の露地にある、蹲踞(つくばい)
「つくばい」
茶道の習わしで、客人が這いつくばるように手を清めたのが始まりである
茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用する
と、Wikipediaにありました
(パンフレットより)
中心の 「口」 を四文字が共用していて、
『 吾唯足知 』
ワレ タダ タルコトヲ シル
となり、禅の格言を謎解きに図案化された、つくばい
「佛遺教経・ぶつゆいきょうぎょう」
お釈迦様の遺言のお経の中にある教えからとったもので、
禅の真髄であり、茶道の精神でもあるという
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」
こうして拝観していると、禅問答の様ですが、
心安らぐ光景も見ることが出来ました
鏡容池
平安時代には貴族が舟遊びをしたり、またおしどりの名所でもありました
江戸時代の「都名所図会」にも紹介されていました
その頃は、「石庭」よりも、回遊式庭園である「鏡容池」のほうが
有名だったようです
都名所図会(江戸時代)
鏡容池
しがらみに寄りてからまる花筏
庫裡
階段の左端の竹垣は 「龍安寺垣」 と呼ばれる
方丈
石庭の外側 「油土塀」
湯豆腐、看板だけ見て、スルー
山門より入り山門より出ました
境内はとても広く、沢山歩いたので疲れた人もちらほら…
” 花疲れ一万五千歩靴を脱ぐ ”
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