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鎌倉殿の13人 第18回 壇ノ浦で舞った男

2022-05-15 17:52:14 | 鎌倉殿の13人

第18回  檀ノ浦で舞った男



頼朝は少しでも火種になりそうなことは

ことごとく消してしまいたいようで

信濃源氏の義仲、義高を討ち取り、

甲斐源氏の武田信義を抑え込み、その嫡男は殺された

次の標的は



源範頼、義経は、瀬戸内方面に進軍した

範頼は義時と共に周防まで進軍

義経は暴風雨のため摂津で足止め

辛抱できない義経は反対を押し切り、悪天候の中進軍していった


瀬戸内海は穏やかな気候の所と聞きますが

この時は荒れたのですね

鳴門の渦潮など海流も過酷な条件のひとつだったでしょう



文治元年(1185)3月


義経率いる軍は、檀ノ浦へやって来ました


義経は、厳しい戦いでの勝利をもぎ取りましたが

やってはいけない事をしていました

漕ぎ手や舵取りを討つのは戦の作法に反する

味方の諫めるのも聞かず、味方にもそれを強いるなど

これは、あかんやろ~

平家軍の舟から舟へと飛び移る、「八艘飛び」





これはかっこよかった、と言えばひんしゅくを買いますが

見事でした





海に慣れ、さらに地の利も大きい平家を滅ぼしてしまいました


檀ノ浦の戦、もの知らずの私もこれは心に残っています








二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せた

安徳天皇が「どこへ連れてゆくの」と仰ぎ見れば、
二位尼は
「弥陀の浄土へ参りましょう波の下にも都がございますよ」
と答えて、ともに海に身を投じた


総帥宗盛も嫡男の清宗と入水するが
命を惜しんで浮かび上がり水練が達者なために
泳ぎ回っていたところを義経軍に捕らえられた


小泉孝太郎さん演ずる平宗盛は総帥なのですね
そして、こういう事で、源氏の陣に連れてこられたのですね 


この戦いにより、平氏(伊勢平氏の平清盛一族)は

25年にわたる平氏政権の幕を閉じた







三種の神器の刀も安徳天皇も

海の底へと消えた

戦は一時止まり、源氏平氏共に手を合わせた


義経には想定外の結果だった

「この先私は誰と戦えばよいのか
私は戦場でしか役に立たぬ」

遠くを見つめ、何を思っていたのだろう


梶原景時曰く

神がかった強さを持つ
才走る
人の情をないがしろにする
勝つためには手段は選らばぬ

そういう気性だったんですね…

そう言えば、義経は鎌倉へ帰れない

兄の喜ぶ顔見たさに、ここまで戦ってきたのに

検非違使に任命されたということは京を離れてはいけない

えらいこっちゃです(>_<)

そんな時、捉えていた平宗盛を鎌倉へ送る役目を受けた

が途中、

頼朝からは鎌倉へ義経を入れるな、という命令が下った

ああ、お兄さんはもう…

義高を許したように、許してくれないのでしょうか

助け船がでないのでしょうか

その時、平宗盛が義経のために嘆願の文を書いてしんぜようか?

よかった!渡りに船ではないですか

でも、その文は義経の自筆ではない、と見破り

余計にこじれたようだ

義経は、もう見放されたと悟った

そして、法皇第一に仕える

「源九郎判官義経」と名乗り京で生きることにする

と、決心したのですが…


初めて兄に会った時、
嬉しさのあまり号泣していた義経だったのですが…













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