京都二条城の真南に”神泉苑”というところがあります。
区分すると、ここは東寺真言宗のお寺です。
平安京造営の折、桓武天皇が造られた禁苑の名残です。
当時、太古よりあった沼地を利用した大変大きな池と、
その周りの森林も生かした、12万㎡の禁苑でした。
(家康が二条城の内堀造営の時に、うんと縮小されました)
水豊かで木々生い茂り色んな鳥たちの群れ遊ぶ楽園で、
歴代の天皇さんが行幸遊宴された所です。
この池の中島に”善女竜王”さんがまつられています。
平安、天長年間、空海が雨乞いのため、
北天竺の無熱池(推定、チベットマナサロワール湖)から
呼びよせたと伝わっています。
「天長の祈雨」として、西寺の守敏という人と東寺の空海の
呪力対決の模様が”神泉苑絵巻”に描かれていますが、
『…善女竜王は大師の懇志に感じて池中より、
大蛇の頭上に金色八寸の御姿を現し、慈雲たちまちにして
起こり、甘雨の降ることはあたかも天瓢の水を注ぐが如く
旱天(ひでり)の災いはたちどころに…』と、おどろおどろしい絵
と共に伝わっています。
また、当時流行った疫病退散のため66本(当時の国数)の鉾を
立てて祈祷をしたのが、今の祇園御霊会(祇園祭)の鉾巡行の
起源といわれています。
私の実家は10年前までこの近くにありました。
子供の頃は、毎日のように友達連れで遊びに行っていました。
いわば、”My play ground”です。
何をするかといえば、まず、ウロウロうろつく。
古びた”ほこら”を見たりさわったり、秋なら、どんぐりや
色付いた葉っぱを拾い集めたり、そして、メインイベント!
池で遊びます。水際まで行って、眺めたり、水に手を付けたり。
それから、メイン中のメイン!池に小石を投げ込む!
友達とどちらが遠くに飛ばすか?或いは何段投げ出来るか?
やりました。
私は投げたあと水面にできる”波紋”を眺めるのが大好きでした。
石の落ちた所を中心に円~く広がって自分の立っている水際まで
届く波紋、向こう側なら、池の中島まで届く波紋、いつまでも、
飽きずに見とれていました。今思えばなんと”わるさ”をしたことか。
神泉苑は管理が厳しくなり昔遊んだ場所まで入ることは出来ません。
マイグラウンドは美しくお化粧した京都の名所となって遠のいてしまいました。
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