ご無沙汰しております
三回忌の準備と後片付けに追われ、ダウンしてしまいました
もう、くたくた
ちょっと時間があっても何にもする気がしなくってだけで
ぐったりしておりました
突然ですが、以前鎌倉に行った時の写真ですが
少しは関連あるかな
お寺とお寺を繋ぐ道のどこかにありました
北条家の家紋(三つ鱗)の入った瓦です
山手から見た由比ヶ浜
極楽寺の階段から見た由比ヶ浜
禅興寺近くの紅葉
円覚寺
鎌倉殿にまつわる跡継ぎと我が事を比べるなんて、とんでもないことですが
最近、私の実家の時を継ぐことが気になります
父が十二代目で、私の代は十三代なのだけれどあとを取るものがいません
姉妹ふたりだけなのに、ふたりとも姓が変わってます
ただ、先祖に手を合わすことはしているつもりです
仏壇、お位牌はここに置いています
亡くなった夫はまるで養子のように、守ってくれていました
今、法事の時、お世話になるお寺さんが、寛大な方で
宗派が違っても、ひとつのお墓に入ってもいい
と言ってくださいました
なので、父はじめ、うちの先祖と夫は同じお墓に居ます
このお墓も亡き夫が準備してくれたものです
夫には兄がいるので、夫のふるさとのことは大丈夫なんです
さて、この後です
息子たちはどうするだろうか
それとなく、頼んでいるのですが…
要らぬ長い前置きになりました
北条時政さん、
政子、義時、実衣の父の姿は優しいお父さんでしたね
あんだけ振り回された妻、りくの行く末も案じていた
「あとは託した、北条、鎌倉を引っ張るのはおまえだ」と
和田義盛に義時へのことづてをした
ただ和田さん、何だったか忘れてしまって…
あの時横で一緒に聞いていた実朝がしっかり伝えてくれました
その実朝に時政は
「無理強いをして申し訳なかった
実朝殿の芯の強さ、感服いたした
頼朝殿を越える鎌倉殿になられますぞ」
そのあと、時政は自刃しようとしたが、八田知家に止められ
その後、伊豆へ送られることとなる
”二度と義時と会うことは無かった”
と、解説者の長澤まさみさんが言いました
時政と義時
伊豆へ送られる父とのお別れの時、鴬が鳴きましたね
時は元久二年(1205)閏七月
角川書店の歳時記には「笹鳴」は冬の鶯がチャッ、チャッと
舌打ちをするように鳴くと載っていました
餌を求めて山を下り人里で暮らすとも
閏七月にも笹鳴するのかも…分かりません
りくの所には、政子と実衣が別れを告げに来て、感謝の意を示しました
それから、義時の三番目の妻ののえが、りくにアドバイスを求めた
北条の家族と上手くやる秘訣
「ひとつ、無理に馴染もうとしないこと
ふたつ、北条のひとりであることを誇りに思うこと」
すばらしい~!
なんと、りくも命を狙われました
刺客は善次の弟子のトウ
義時の手下のはずだから…
三浦善村の配慮で未然に防げましたが、ほんとに鎌倉は恐ろしいです
「これより、この北条義時が執権・時政に変わり
鎌倉の政を取り仕切る」
と、宣誓しました
そして、ちょっと頼りない様な雰囲気のある源実朝は
芯の強い、且つ優しい人柄だと分かりました
また、母政子の見出した和歌を詠む才能
これがこの後開花するようでとても楽しみです♪
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