kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

光る君へ(な)

2024-07-28 17:50:59 | 光る君へ

 

 

第28回 一帝二后

 

” よもすがら契りしことを忘れずば

   恋ひむ涙の色ぞゆかしき ”

 

 

定子は命の終わりを察していたかのような悲しい歌を残して

 

皇后定子、亡くなりました

 

出産のあとすぐとは

 

心身共に、しんどかったでしょうね

 

ききょうだけが気を許せる人だったようでした

 

 

 

病は気から、と言いますがその通りだなあと思います

 

亡くなった夫ですが、治療中比較的

元気が出ていた時があったのですが

医師から良くない検査結果を告げられた途端

病状が悪くなり、気力も無くしていきました

 

聞いてなかったならもう少し元気でいてくれたのでは

なんて、未練ったらしいことを…

今もそんなこと思う時があります

 

オリンピックがやってくると

そこそこ年月の経ったテレビはためらいなく

買い替えていました

きれいな画像で見たいんですって

 

2021年2024年と同じテレビ、ひとり見てます私は(^-^;

生きていたら今年は絶対買い替えていたでしょうね

 

今はテレビではなく水回りの修理に費用が~~(/ω\)

 

 

 

 

 

 

「光る君へ」に戻ろう!

 

中宮定子の元気だった頃

雪の積もった日、たくさんの友人が集まり

サロンが開かれたことがありましたね

 

中宮定子が

「少納言、香炉峰の雪は」

とききょうにたずねるシーン

 

 

白居易(白楽天)の漢詩「草堂題東壁」の一節

(白氏文集のなかのひとつ

白居易(772年~846年)が817年に書いたもの

 

 

「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」

こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる

 

 

 

日本に伝来したのは820年以降

遣唐使廃止の894年までの間あたりで

平安文学に大きな影響を与えたという

 

(「枕草子」「源氏物語」は1000年頃に書かれている)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「草堂題東壁」 白居易

 

日高睡足猶慵起

ひたかく   ねむりたりて  なお  おくるにものうし

小閣重衾不怕寒

しょうかく  きんをかさねて  かんをおそれず

遺愛寺鐘欹枕聴

いあいじのかねは まくらをそばだててきき

🔵 香炉峰雪撥簾看 

こうろほうのゆきは すだれをかかげてみる

匡盧便是逃名地

きょうろはすなわち これ なをのがるるの ち

司馬仍為送老官

しばはなお ろうをおくるの かんとなす

心泰身寧是帰處

こころゆたかに みやすきは これきするところ

故郷何独在長安

こきょうなんぞ ひとりちょうあんにのみ あらんや

 

 

この詩は白居易が46歳の時

江州司馬として左遷されていた時(817年)

香炉峰のもとに草堂を建て

その東の壁に書いた詩

 

 

枕草子には次のように出てくるそうです

(中宮定子が)

『香炉峰の雪いかならむ』

と仰せらるれば

(少納言は)御格子あげさせて

御簾を高くあげたれば

(中宮は)笑わせたまふ

 

大石静さんのオリジナルではないんですね

枕草子にも書かれた本当にあったことが

あの時のドラマのシーンになったとは、感動です

 

 

” よもすがら契りしことを忘れずば

   恋ひむ涙の色ぞゆかしき ”

 

定子は命の終わりを察していたかのような悲しい歌を

詠んでいたことに兄の伊周は涙に暮れた

 

伊周はまた、左大臣道長を恨むことになる

何ごとが起きるのか

心配です

 

定子の死をかけて出産した姫皇子

 

まひろの娘、賢子

 

皇后となった道長の娘、彰子

 

一度は危篤となった道長の快復

 

生と死が繰り広げられました

 

次はなにが起きるのでしょうか

 

安倍晴明は裏社会のドン、怖いです

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
« 光る君へ(ね) | トップ | 句会に行きました、句集も来... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿