元和二年(1616) 徳川家康は自分の病の重篤を知り、
いくつかのい遺命を言い渡ししました。
それにより、徳川幕府を屈強なものにする三本のラインが現れました。
※ 一本目
御前崎から久能山東照宮を線で結んだ延長上に富士山
更に延長上に群馬県の世良田東照宮(徳川氏祖先の地)
更に延長すると日光東照宮に至る
※ 二本目
久能山東照宮から真西には駿府城、更に延長すると
鳳来山東照宮(松平広忠公夫妻が鳳来寺に祈願して家康が出生)
更に延長上に家康が生まれた岡崎城、更に京都に。
※ 三本目
日光東照宮の真南には江戸城、南面に建つ陽明門の真上に は 「不動の北極星」 が輝きます。
自然を崇め、祖先を崇め、そして、関八州はじめ、遠くは京都まで
目を配る、そんな家康の心が放った三本のミステリーラインは、
今も、霞むことなく日本を走っているようです。
家康さん、さすがですね。
「静岡名産 石垣イチゴ」
静岡駅からバスに乗って、登呂遺跡。
登呂遺跡からまたバスに乗って、久能山へ。
駿河湾沿いの久能街道(国道150線)またの名を 「いちご海岸通り」
の久能山への登り口付近で降り、
この旅いちばん過酷な時がやって来ました。
石の階段、1159段らしい…
その前に、道沿いの農家さんの前で、無人販売、
と言ってもすぐに中から売主らしき人が出てこられましたが、
「石垣イチゴ」 1パック100円(税込) 2パック購入。
採れたてツヤツヤのいちごです。
気温が高いのでちょっとぬるかったですが、
これが、長~い、険し~い久能山の階段登りに、
いい潤いになりました
いささか、不謹慎ではありますが…(^_^;)
脱水症状が出てはいけません!
ここから登ります。
海が見えてきました、すでに息も絶え絶えの頃
先程くぐった 「一の鳥居」 が海へつづく道に見えます。
ここまで登れば、あともう少し。
社務所に着いた頃に、いちご1パック完食でした。
ところで、バスが通る道は途中からとても細い道になり、
更にその両側に、ビニールハウスが軒並み立っているんです。
どうしてまた、民家の中の車道沿いギリギリまでビニールハウスが
立ってるんだろう?
と、不思議でしたが、分かりました。
理由は、後ろは山、前は海、両方に挟まれ
おそらく土地が足りなくてこうなったのだろうと思いました。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し
急ぐべからず
不自由を常と思へば不足なし
心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし
勘忍は無事長久の基
怒は敵と思ヘ
勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば
害其の身に至る
己を責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり
慶長八年正月十五日 家康
と、言い残した、徳川家康公を祭神とする 「久能山東照宮」 です。
日光東照宮より19年前に造られた、権現造、総漆塗、極彩色の社殿の本殿は国宝です。
家康が病が重篤なことを知り、天海僧正など近しい者に、
一、遺体は駿河の久能山に葬ること
二、葬礼は江戸の増上寺に於いて行うべきこと
三、位牌は三河の大樹寺に立つべきこと
一周忌を過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請すべく、
これによって、関八州の鎮守となる…
こう、遺命したのでした。
本殿
本殿の左側面
本殿屋根のたくさんある葵の紋の中に、逆さまに付けられたものが
あるという…、
理由は、「完璧」 を避けるためなのだとか。
日光東照宮と同じように、本殿や拝殿、唐門に施された彫刻は
あっぱれな出来ですぞ。
実は、久能山東照宮には、ミステリアスなことがあるのでした
それは…?