” 入りそめて国ゆたかなるみぎりとや 千代とかぎらじせんだいのまつ ”
いりそめてくにゆたかなるみぎりとやちよとかぎらじせんだいのまつ
仙台藩祖伊達政宗が仙台に築城する時に、千代の世までの繁栄を願った歌
仙台城は、
青葉山を利用した山城で、天守閣のようなものはなく、
城の体裁としてはお粗末だった
政宗は、秀吉・家康の天下人にその政治的野心をひどく警戒された
丸腰の城と見せかけて、天下人の警戒心をときながら、
自然の地形の険しさを見事に利用して戦闘態勢を備えた築城をしている
すごい!
元々この地は「せんだい」と言っていた
アイヌ語の「川口入口」を意味する「センナイ」が「センダイ」となり、
「千代」 が用いられるようになっていった
それを、政宗が慶長8年青葉城の完成を機に 「千代→仙台」 とした
そして、城下町が栄えていった
…
伊達政宗を思うと、『 梵天丸も斯くありたい 』
この言葉が思い出されます
大河ドラマ「独眼竜政宗」(昭和62年)を見ていました
片目を失ない、様々に思い悩む梵天丸(伊達政宗の幼名)がお寺に行った時、
不動明王を見て、
『優しいはずの神様なのに、どうしてこんなに恐ろしい顔をしているのですか?』
そう問われた僧侶、虎哉宋乙(こさいそういつ)(教育係となる)は、
『 悪を懲らしめるため、恐いお顔をされているが、
内には計り知れない優しいお心を持っておられます。』
それを聞き、 『梵天丸もかくありたい』
この時に屈辱から解き放たれ、目指すものをしっかり掴んだ
引っ込み思案で恥ずかしがりやの子供だったとは思えない武士となる…
五歳の時に志を立て、
…
歴史に名を残した伊達政宗のこんなエピソード、
そんな政宗の姿を見て、強く生きることを誓った人もあったと思います
私の父もそんな一人だったかもしれません
実は父は、片方の目が見えませんでした。
瞳に白いものが掛かっていて、目の悪い事は一目瞭然でした
そのことにこだわって愚痴ったり、落ち込んだりする様子は
感じませんでした
しかし、父の心はどうだったのでしょう
おそらく、苦しんでいたと思います
91歳で父は亡くなりましたが、ずっと
伊達政宗に希望を感じ、辛いことにも耐えてきたのだろうと、
今思います
よく、政宗の話をしていた、そんな父も仙台に一度くらい
来て見たかったかもしれない
伊達政宗のお骨が発掘された「瑞鳳殿」の資料館に
訪問者の名を記すノートがありました
父の名前と私の名前と、記入してきました
喜んでくれるかどうか分かりませんが…
瑞鳳殿への石段
門の前に来ました
門越しの瑞鳳殿
伊達正宗公の霊屋「瑞鳳殿・ずいほうでん」
屋根には八つの龍が、守護神
二代藩主伊達忠宗の霊屋 「感仙殿」と
三代藩主伊達綱宗の霊屋「善応殿」
並んで建立されています
瑞鳳殿の近くにあります
この階段を下りて、次の場所まで
再度、る-ぷる 仙台バスです
瑞鳳殿の近くを「広瀬川」が流れていました
しばらく雨が降ってないのか、水量が少なめでした
≪ 青葉城恋唄 ≫
さとう宗幸
” 広瀬川 流れる岸辺
想い出は 帰らず
早瀬踊る光に
揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人はもういない…
あの人はもういない…