皇太子の憲法擁護遵守発言を黙殺しなければならない政治的局面とは!
日本国憲法の奥の深さを、今こそ活かす時だ!
以下の記事をご覧ください。皇太子の「憲法遵守擁護義務」を活かした発言に対して、池上氏が朝日紙上で論評しています。現在の日本の局面を、実に見事に表現というか、皮肉というか、批判しています。愛国者の邪論も、この視点につては、大方賛成です。しかし、指摘しておかなければならないことは、
1.過去の戦争に対する「思い」を言うのであれば、祖父裕仁天皇の戦争責任について言及すべきです。しかし、それについては、「政治的発言」として言わない、言えない、或は、そこまで踏み込んで考えていない、ということでしょう。池上氏も、この点については、一言も触れていません。この戦争責任を曖昧にしてきたことのツケが、今日の事態の最大の問題となっていることは明らかですが、これは、今もってタブーのようです。
2.もう一つは、このような発言は憲法上どのように位置づけられているのでしょうか。曖昧にしてきたことは否めません。これも「なぁなぁ」主義と既成事実化の「成果」であることは明らかです。憲法では以下のようになっているからです。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第五条 皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
○2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。(引用ここまで)
以上のどこを読んでも、皇太子の発言を規定している条文はありません。これは「国民に親しまれる皇室」を既成事実化することで、戦争責任問題をクリアーしようとしてきた戦後自民党政権の「大きな成果」と言えます。「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」という項目を援用してきたことに大きな要因があります。
その最大の「ものさし」は、「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ということと、「国政に関する権能を有しない」ということです。この「ものさし」の最大のポイントは、「正当に選挙された国会における代表者」が選出した「内閣の助言と承認」の下に行ってきたのだということです。「主権者」の「総意」の意味が、ここにあります。
しかし、本来は「内閣の助言と承認」を受けて、今回のような発言が行われているはずなのですが、今回の、いや、最近の天皇や美智子皇后の発言をよくよく読むと、この憲法を厳格に遵守し擁護する義務を果たそうとしていることが判ります。今回も「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」という部分が使われているのです。これは当然のことと言わなければなりません。
しかし、この発言が脚光を浴びるのは、池上氏が指摘しているように、安倍首相の動きです。同じ日の新聞には憲法改悪の日程が報道されているのです。全く逆の立場が、憲法を遵守し擁護しなければならない国会議員や首相である国務大臣、その他の公務員によって、公然と行われているのです。憲法擁護の主張は「政治的」として排除されている「風潮」が跋扈しているのです。
天皇家にある「憲法遵守擁護の義務履行」の「確信」はどこにあるか!それはやはり、戦争の「惨禍」にあるのではないでしょうか。天皇主権の時代に引き起こされた侵略戦争の反省、それを明確にしないまま死去した裕仁天皇への「思い」、すなわち「免罪」「贖罪」「反省」などなど、複雑な「思い」が、明仁天皇をして、各地の戦争「遺跡」、被災地を訪問させているのではないでしょうか。父裕仁天皇への「思い」、皇室の存続などを含めた複雑な「思い」が、ここにあります。このことは明仁天皇も、徳仁皇太子も語ることはないでしょう。しかし、彼らの「思い」を忖度すると、どうでしょうか。
以上のことを書いたからと言って、彼らを「免罪する」などということを言っているのではありません。そのレベルではなく、如何にして侵略戦争の反省と責任と謝罪と補償と不戦の誓いを国民的合意として国際社会に示していくか、そのためは現行憲法を活かす!ということを強調しているのです。その点で、天皇家と一致する現在の局面を、どのようにして国民的合意にまで高めていくか、ということです。主権者は、国民なのです。
それでは、以下池上氏の視点をご覧ください。
(池上彰の新聞ななめ読み)皇太子さまの会見発言 憲法への言及、なぜ伝えぬ 2015年2月27日05時00分http://www.asahi.com/articles/DA3S11623113.html
皇太子さまの55歳の誕生日にあたっての記者会見の内容を報じた(上から)毎日新聞、日本経済新聞、朝日新聞(東京本社版) 写真・図版
記者会見に出席し、同じ話を聞いたはずの記者たちなのに、書く記事は、新聞社によって内容が異なる。こんなことは、しばしばあります。記事を読み比べると、記者のセンスや力量、それに各新聞社の論調まで見えてくることがあります。
2月23日は皇太子さまの誕生日。それに向けて⒛日に東宮御所で記者会見が開かれ、その内容が、新聞各社の23日付朝刊に掲載されました。
朝日新聞を読んでみましょう。戦後70年を迎えたことについて皇太子さまは、「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示して、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘されたそうです。
また今年1年を「平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話されたそうです。
同じ記者会見を毎日新聞の記事で読んでみましょう。こちらは戦後70年を迎えたことについて、「我が国は戦争の惨禍を経て、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と述べられたそうです。
皇太子さまは、戦後日本の平和と繁栄が、日本国憲法を基礎としていると明言されたのですね。以前ですと、別に気にならない発言ですが、いまの内閣は、憲法解釈を変更したり、憲法それ自体を変えようとしています。そのことを考えますと、この時点で敢えて憲法に言及されたということは、意味を持ちます。
いまの憲法は大事なものですと語っているからです。天皇をはじめ皇族方は政治的発言ができませんが、これは政治的発言にならないでしょうか。
ところが、憲法99条に、以下のの文章があります。
「天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と。
皇太子さまは、憲法のこの条文を守って発言されているに過ぎないのですね。
でも、憲法尊重擁護義務を守りつつ、「憲法は大事」と伝えようとしているのではないか、とも受け取れます。それを考えると、宮内庁と相談しながらのギリギリのコメントだったのではないかという推測が可能です。
こんな大事な発言を記事に書かない朝日新聞の判断は、果たしてどんなものでしょうか。もちろんデジタル版には会見の詳報が出ていますから、そちらを詠めばいいのでしょうが。本紙にも掲載してほしい談話です。
他の新聞はどうか。読売新聞にも日本経済新聞にも産経新聞にも、この部分の発言は出ていません。毎日新聞の記者のニュース判断が光ります。
こうなると、他の発言部分も気になります。朝日新聞が書いている「謙虚に過去を振り返る」という部分です。このところ、日本の戦争の評価をめぐって、「謙虚」ではない発言が飛び交っていることを意識されての発言なのだな、ということが推測できるからです。皇太子さまの、この言外に含みを持たせた発言を、他紙は報道しているのか。
毎日新聞と日経新聞は報じていますが、読売新聞にはありません。産経新聞は、本記の中にはなく、横の「ご会見要旨」の中に出ています。
日経新聞は、「謙虚に過去を振り返る」の発言の前に、「戦後生まれの皇太子さまは天皇、皇后両陛下から折に触れて、原爆や戦争の痛ましさについて話を聞かれてきたという」と書いています。天皇ご一家が、戦争の悲惨さと平和の大切さを語り続けてこられていることがよくわかる文章です。朝日新聞の記事では、こうした点に触れていません。記者やデスクの問題意識の希薄さが気になります。(引用ここまで)
皇太子の憲法尊重擁護義務発言から学ぶべきことは何か!
皇太子の憲法尊重擁護発言を黙殺した読売・日経・産経、そして朝日の姑息の誤りは明らかです。同時に、コレラの新聞が、憲法の規定からみても、また国民の意識を反映したものではないことも明らかです。安倍政権のネライを忖度した意図的世論操作・誘導であることも明らかです。それにしても、このような意図的な世論誘導が放置・免罪されてしまう日本の民主主義は、非常に危機的状況にあると言えます。
こうした世論誘導が免罪されてしまうのは、戦前の反省を教訓にしていないことが最大の要因と言えますが、戦後直後、いわゆる逆コースの頃から始まった憲法改悪派の仕組んだ意図的な、政治的な「風潮」「風評」「政治風土」づくりが、マスコミ自身によって行われ今日の「国民世論」を形成してきた「大きな成果」ということを確信するものです。しかし、その「国民世論」が、果たして本当に憲法「改悪」論に与しているかと言えば、それはノーと言わなければなりません。これが、皇太子の発言そのものにも言えることであると同時に、掲載した新聞が存在していることにも象徴されるからです。
皇太子の憲法擁護発言を意図的に覆い隠して、何ら問題にならない日本の思想・思潮状況がある訳ですが、しかし、それにしても憲法形骸化を振りまいてきたマスコミの世論操作と世論調査の奥深いところには、憲法平和主義は地下水脈のように流れているのですが、この地下水脈を地上に吹き上げる意図的な組織的な力が、未だ弱いところに最大の問題があると確信するものです。
だからこそ、どんな小さなことでも、それをリトマス試験紙で吸い上げるような努力が、現代において必要不可欠であり、これは憲法改悪のベクトルと憲法を活かすベクトルのし烈な綱引きが行われていることを思えば、どちらが、その力を合わせて相手方を凌駕していくか、まさに力の入れどころなのです。
今必要なことは「憲法を活かせ!9条を使え!」だ!
憲法尊重擁護の義務履行者の皇太子の方が歴史を直視している!
そのためには、受け身ではダメです。憲法改悪派は、憲法擁護派の受け身思想を巧みに利用しています。マスコミを使って仕掛けてきている挑発的言動、既成事実化、土俵づくりに対して受け身的行動が顕著です。安倍首相派のつくった土俵で相撲を取っていてはダメです。そうではありません!では今必要なことは、何か!です。そのためには、
言論界において、憲法を活かせ!ということはどういうことをやることか!
農業や労働分野などなど、国民の暮らしの分野で、憲法を活かせ!とはどういうことをやることか!
平和の問題で、憲法を活かせ!とはどういうことをやることかか!
教育の分野で、憲法を活かせ!とは、どういうことをやることか!
などなど、以上の視点に立って、具体的構想と具体的政策を対置させていく時です。それは憲法を『岩盤規制』として位置付け、その「緩和」を陰に陽に推進している安倍政権の国民生活破壊のネライと憲法改悪後の日本の人権と民主主義、平和の内容に対して、憲法活かす派の構想と具体的政策を対置させて、国民の選択を迫ることです。このことこそが、安倍派を凌駕していく唯一の途だと確信するものです。
しかし、現状では、このような構造になっていないというのが率直な現状です。安倍政権に不安と不満を持っている全ての国民に呼びかける。そして安倍政権の政策に代わる対案づくりを始める。これこそが「国民が主人公」の国づくりと言えます。
そういう視点で、皇太子の憲法遵守擁護発言を捉えていくこと、この発言を黙殺した勢力の意図、皇太子の発言を取り上げた勢力・世論とのつばぜり合いの中で、今何をしなければならないのか、そのことの重要性です。愛好者の邪論が声を大にして言っていることは。
以上のことを、改めて教えてくれた皇太子の憲法遵守擁護義務発言とそれを論じた池上発言でした。