つづき
憲法9条こそが紛争の火種をなくす唯一無二の方策であることを朝日は無視!
3.「自衛隊の迅速な対応を重視する考え方だが、逆に言えば、小競り合いを止める間もなく事態がエスカレートし、軍事衝突に発展する危険性をはらむ。ならば、むしろいったん切れ目を置いて、起きてしまった紛争を最小限にとどめる方策を考えるべきではないか」論。
この視点に9条を使うだと言う視点が全くないことが判ります。朝日の憲法9条形骸化路線が浮き彫りになります。
「小競り合い」「軍事衝突に発展する危険性をはらむ」「起きてしまった紛争を最小限にとどめる方策」論には、隣国と憲法9条を使った「対話と交流」による連帯と親密を深めていくと言う思想はありません。軍事抑止力を前提とした安全保障論、消極的受身の軍事回避論です。しかし、これが、破たん仕掛けていることは安倍首相のデタラメ・スリカエを視れば明らかです。
憲法9条を積極的に使うという思想をスルーさせ忘れさせてしまった日本!
4.「これまでは、日本が直接攻撃されることが自衛権発動の基準だった。だがこれからは違う」論。
この「専守防衛」論の最大の問題点が、ここにあります。朝鮮戦争以後のアメリカの国際法違反の侵略戦争に憲法9条がズタズタにされてきた歴史です。そのキーワードが「脅威」論です。このことを朝日を含めて多くのメディアが日本国民を思考停止に陥れてきたことを告発しなければなりません。それは現在進行形なのです。
「専守防衛」論の最大の問題は、「専守」と「防衛」の中身を『文部省 あたらしい憲法のはなし』を使って解釈し9条を活かすということをしなかったことです。このことの反省と教訓を明らかにしなければなりません。以下お読みください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。(引用ここまで)
自民党の改悪改憲案を視れば朝日の主張はデタラメ!国民を混乱させる!
批判しているようでいながら安倍首相、自民党の応援団化した朝日浮き彫り!
5.「そもそも、現政権は何を目標としているのか。日本をどんな国にしたいというのか。地域の平和と安定をめざすのなら、近隣外交と両輪で進める必要がある」論。
自民党の憲法改悪改憲案を視れば、はっきりしているのに、朝日は、この内容を批判せず、「地域の平和と安定をめざすなら」などと、安倍首相らの言い分を無批判的に紹介しています。
「地域の平和と安定をめざすのなら、近隣外交と両輪で進める必要」というのであれば、憲法9条であることは明らかですが、この言葉をスルーしているのです。何故でしょうか。「憲法9条」と「専守防衛」論は相いれないものであること、「専守防衛」論の破たんを承知しているからです。
或は憲法9条改悪の安倍自民党への忖度でしようか。「政治的」だからでしょうか。ここに朝日の姑息があります。正々堂々と9条を語れないのです。憲法9条を「ものさし」にできないのです。
この手法は、駄々っ子の言動の悪さが酷いものであることは十分承知をしていながら、その駄々っ子をなだめすかすかのような手口です。こうした手法が駄々っ子の悪行を助長させていることを朝日は、気づいていないフリをしています。安倍首相の、前後自民党の悪行を視れば一目瞭然です。
しかし、それでも、朝日は、安倍首相の改心を信用しているとでもいうのでしょうか。厳しく批判することはしていません。一貫してなだめすかすという手法を使っているのです。安倍首相の思想の何たるかを知らないとでもいうのでしょうか。
世界の誇る人類史の到達点である憲法を拡散させる思想はなし!
6.「世界のためにいま出来ることは何か。それを考え、率先することが大事なのであって、自衛隊の軍事面のしばりを解くことが最優先ではあるまい。安保法制の与党合意に突き進む前に、立ち止まって考えることがあるはずだ」論。
ここでも家農9条を世界に発信していくことの意味を強調していません。今や地球儀を俯瞰して憲法9条を使うことこそが、「積極的平和主義」と言えます。紛争は非軍事的手段で解決する、「対話と交流」で解決することを明らかにすることこそが国際公約を全面的に実践することなのです。
7.「ずいぶんと風呂敷を広げたものだ。議論の焦点が定まらないまま、政府・自民党は次々に、自衛隊の活動の歯止めを弱める提案を繰り出している」論。
繰り返しますが、ここに、ボタンの掛け違いを許してきたことからうまれている現実に対する反省も教訓もありません。安倍首相のデマ・スリカエ・デタラメ・ゴマカシ・トリック・大ウソの一つひとつを暴いて批判して撤回させてきていないことを反省すべきです。
9条を曲解する「国際紛争と一定の距離を保ってきた」論の誤り浮き彫り!
9条思想は日本の中世以降の歴史に脈々と継承されてきたのだ!
「非軍事抑止力」論は紛争の火種と紛争解決の唯一無二の手段だ!
8.「戦後70年、平和憲法のもとで国際紛争と一定の距離を保ってきた安全保障政策には意味がある。一気に安全弁を取り払い、紛争への関与を深めることが正しい道なのか。与野党、そして幅広い国民の合意なしに進められることではない」論。
朝日のスタンスは憲法9条の普遍的人類史的価値を「幅広い国民の合意」があれば、安倍首相の反動的反国民的ネライはオッケーなのです。そうではないでしょう。「平和憲法のもとで国際紛争と一定の距離を保ってきた安全保障政策には意味がある」という思想に、憲法9条の「意味」をはき違えていることが浮き彫りになります。
だから、朝日は日米軍事同盟を国際紛争を解決する「抑止力」として容認するのです。ここに朝日の本質があります。憲法9条は、国際紛争を国家による戦争、武力行使、武力による威嚇=脅しを使って解決するのではなく「対話と交流」で解決することを明記しているのです。
このことこそが、紛争の火種そのものをなくしていく唯一無二の政策なのです。これは「理想論」ではありません。極めて鋭い、具体的な政策なのです。このことは日本の歴史の中で培われてきたものであって、歴史的に証明されていることです。問題は、朝日のような憲法9条の思想を曲解する思想で、9条を使ってこなかったことこそが問題なのです。
日本の歴史の中で、憲法9条の源流がどこにあったか、それは、中世以来の農村にあります。それは「掟」です。百姓たちは紛争の火種をなくしていくこと、紛争が起こった場合は、話し合いで解決することを編み出しているのです。このことを、今一度確認しておくことが大切です。
憲法9条は、決して「押し付けられた」ものでもないし、「輸入品」でもないのです。それは村の「自治」が編み出した知恵だったのです。この知恵が、明治期から大正期、戦後の昭和にかけて受け継がれてきているのです。このことについては、別稿で記事にするつもりです。
では問題の社説をご覧ください。
朝日新聞 安保法制の与党協議/立ち止まって考えること 2015/3/9 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
なじみのない言葉が入り乱れて、なにを議論しているのか分からない。そう感じている人が多いのではないか。
存立事態と重要影響事態、武力攻撃事態と武力攻撃予測事態と緊急対処事態……。存立事態という名称はわかりにくいからと白紙に戻して「新事態」に。重要影響事態は周辺事態から「周辺」を抜いたもの。
議論が拡散するなかで、政府が考える安全保障法制の大枠が示され、自民、公明両党の与党協議が急ピッチで進んでいる。今月末までに一定の合意をめざすのだという。
日本のありようを根底から変えるような動きである。国民の理解を得る努力を抜きに、拙速に進めるべきではない。
「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」。武力行使の新3要件などを定めた昨年の閣議決定のタイトルだ。ここにある「切れ目のない」という言葉が、今回の安保法制の議論のキーワードと言える。
「切れ目のない」は「歯止めのない」につながりかねない。あいまいな安保法制を成立させれば、将来に禍根を残す。
■切れ目なしでいいか
「切れ目のない」という言葉はもともと、離島での小規模の武装集団の襲撃などを想定したグレーゾーン事態に関連して使われてきた。平時から有事まで、海上保安庁と自衛隊が緊密に協力し、切れ目のない態勢を敷くという文脈だ。
自衛隊の迅速な対応を重視する考え方だが、逆に言えば、小競り合いを止める間もなく事態がエスカレートし、軍事衝突に発展する危険性をはらむ。
ならば、むしろいったん切れ目を置いて、起きてしまった紛争を最小限にとどめる方策を考えるべきではないか。
自衛隊の出動は、平時と有事の明確な境目である。相手から見れば戦争突入を意味する。十分な情報に基づいた慎重な判断が必須だ。
この点に、いまの安保論議の危うさがある。
これまでは、日本が直接攻撃されることが自衛権発動の基準だった。だがこれからは違う。集団的自衛権の行使が法律で認められれば、日本が攻撃されていなくても、政府が自衛権発動の是非を判断することになる。それは海外で起きた、他国への攻撃であり、多くの国民は日常生活を続けているかもしれない。自衛隊が出動すべきケースかどうか、明確な一線を引けるのか。立法時の基準があやふやなら、時の政府にすべての決断をゆだねることになる。
■将来的には国防軍?
自公両党で意見が隔たる中東ホルムズ海峡の機雷除去も、一致したのは「武力行使の新3要件に合致すればできる。合致しなければできない」ということだけ。どんな事態なら要件に合致するのか、肝心な点はうやむやである。それなのに公明党は「歯止めをかけた」と言い、政府・自民党は「将来に行使可能な余地を残した」と考える。
自衛隊の制約を外そうとする発想は、多くの政府提案に通底している。典型的なのが、他国軍の後方支援をめぐる恒久法の議論だろう。国会で特措法をつくる手間を省き、自衛隊をすばやく海外派遣する狙いだ。
その後方支援は「現に戦闘の行われていない地域」で活動を可能にするという。これもまたあいまいで、制約がないに等しい。戦闘が始まれば活動を休止・中断するというが、自衛隊員の危険は格段に高まる。
政府・自民党の狙いは自衛隊の活動範囲を広げ、できる限り他国軍並みにすることだ。視線の先には将来の憲法改正や国防軍への衣替えがあるのだろう。
■どんな国をめざすか
そもそも、現政権は何を目標としているのか。日本をどんな国にしたいというのか。
地域の平和と安定をめざすのなら、近隣外交と両輪で進める必要がある。長い目でみれば、米国はもとより、中国、韓国を巻き込むような地域の安全保障体制をめざすべきだ。
国際貢献を進めるというのなら、2013年の1年間に難民を6人しか認定していない現状を改めなければならない。西アフリカで猛威を振るうエボラ出血熱の対策では自衛隊の派遣構想が浮かんだが、見送られた。
世界のためにいま出来ることは何か。それを考え、率先することが大事なのであって、自衛隊の軍事面のしばりを解くことが最優先ではあるまい。
安保法制の与党合意に突き進む前に、立ち止まって考えることがあるはずだ。
◇
安保法制の主な政府提案
◆集団的自衛権の行使をめぐる新事態(存立事態)の新設
◆他国軍の後方支援の恒久法新設
◆周辺事態の「周辺」を抜く抜本改正
◆日本周辺以外での船舶検査
◆PKOの武器使用基準の緩和
◆海外での自衛隊による邦人救出
◆グレーゾーン事態で米軍以外の艦船防(引用ここまで)
朝日新聞 与党安保協議/なんでもありですか 2015/3/1 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
安全保障法制をめぐる与党協議のテーマが拡散している。
主だった論点でも、集団的自衛権と存立事態▼周辺事態法の抜本改正▼他国軍への後方支援をめぐる恒久法の是非▼武力攻撃に至らないグレーゾーン事態▼武器使用基準の見直し▼国連決議の有無や国会の関与▼邦人救出のための自衛隊派遣――など多岐にわたる。
ずいぶんと風呂敷を広げたものだ。議論の焦点が定まらないまま、政府・自民党は次々に、自衛隊の活動の歯止めを弱める提案を繰り出している。
日本の安全保障のあり方と、自衛隊員の命にかかわる重要な議論である。与党協議は3月末までの結論を目指しているが、自衛隊のしばりを解こうとする自民党と、歯止めをかけたい公明党には溝がある。
合意を急いでも、つじつま合わせになりかねない。拙速は避けなければならない。
たとえば周辺事態法。公明党はこの法律を残して、地理的な歯止めをかけようとした。そのほかの事態にあたっては、かつてのテロ特措法やイラク特措法のように、その都度、時限立法で対処する考え方だ。
これに対し、事態が発生する前にあらかじめ自衛隊の活動を定めておくのが恒久法である。政府は周辺事態法から「周辺」という概念をなくし、地理的な制約をはずそうとしているが、そうなると恒久法との違いが不鮮明になってくる。
そもそも、恒久法はどんな事態を想定してつくるのか。過去にも、いくたびか必要論が浮かんだが、議論が深まるにつれて慎重論が強まり、法制化を見送ってきた経緯がある。
積極派はすばやく自衛隊を派遣できる利点を強調する。しかしハードルが下がれば、時の政府の判断次第でどこへでも派遣されかねない。人員や装備、予算が拡大し、本土防衛への影響が出ることを危ぶむ声もある。
後方支援の中身も、これまでに比べ、格段に危険になっている。「非戦闘地域」に限っていたのを、昨年7月の閣議決定で「現に戦闘の行われていない地域」に広げたためだ。そのとき戦闘がなければ派遣が可能となるが、状況が変われば、現場の部隊の判断で活動の休止・中断を決めなければならない。
戦後70年、平和憲法のもとで国際紛争と一定の距離を保ってきた安全保障政策には意味がある。一気に安全弁を取り払い、紛争への関与を深めることが正しい道なのか。与野党、そして幅広い国民の合意なしに進められることではない。(引用ここまで)