テレビは憲法9条を否定する安倍首相の言葉を何故問題視しないのか!
単に垂れ流すのみとするのであれば、テレビ業をはく奪するものとする!
テレビが流した安倍首相の言葉は以下のとおりです!
「戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲のうえに、今、私たちが享受する平和と繁栄があり、歳月がいかに流れようとも、私たちはそのことをいっときたりとも忘れない」
「私たちは平和への誓いのもと、過去に対し謙虚に向き合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら、世界の恒久平和のためにあたう限り貢献していく」
安倍首相に問う!以下の設問に応えなさい!
以下の言葉に具体的に誠実に応えない場合は
総理大臣職をはく奪するものとする!
1.「戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲のうえに、今、私たちが享受する平和と繁栄があり」とはどういうことか、具体的に説明しなさい。
2.「歳月がいかに流れようとも、私たちはそのことをいっときたりとも忘れない」とは、どういうことか、具体的に説明しなさい。
3.「私たちは」とは、誰のことか、具体的に説明しなさい。
4.「平和への誓いのもと」とはどういうことか具体的に説明しなさい。
5.「過去に対し謙虚に向き合い」とはどいうことか、具体的に説明しなさい。
6.「悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら」とはどういうことか、具体的に説明しなさい。
7.「世界の恒久平和のためにあたう限り貢献していく」とはどういうことか、具体的に説明しなさい。
8.「戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲」が創られたのは何故か、具体的に説明しなさい。
9.「悲惨な戦争」が創られたのは何故か、具体的に説明しなさい。
10.東京大空襲で10万もの人間が殺されなければならなかったのは何故か、具体的に説明しなさい。
11.安倍首相は、生き残った人々の言葉の一つひとつにどのように向き合うか、具体的に、自分の言葉で応えなさい。
NHK 首相「世界恒久平和にあたう限り貢献」 3月10日 11時59分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150310/k10010010161000.html
安倍総理大臣は東京大空襲から70年となる10日、遺族などおよそ600人が参列して営まれた法要に出席し、「戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲のうえに、今、私たちが享受する平和と繁栄があり、歳月がいかに流れようとも、私たちはそのことをいっときたりとも忘れない」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「私たちは平和への誓いのもと、過去に対し謙虚に向き合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら、世界の恒久平和のためにあたう限り貢献していく」と述べました。このあと、安倍総理大臣は祭壇に焼香して、静かに手を合わせていました。(引用ここまで)
「(Q.当時の様子について?)消防の人も、こうやってなったまま、水かけたまま亡くなってた。(死者が)全部枕木みたいだった。それがずっとつながっていた」(空襲で親を亡くした女性)
また、10日午後には東京都の「平和の日記念式典」が開かれ、アメリカのケネディ駐日大使も出席し、大空襲の犠牲者へ黙祷を捧げました。(引用ここまで)
東京・墨田区にある東京都慰霊堂に納められているのは、東京大空襲で亡くなり、身元がわからなかった方々の遺骨。
天井までの高さが7メートルという広い納骨堂に整然と並べられている遺骨。
東京大空襲から70年となる10日、東京都慰霊堂で営まれた法要には、秋篠宮ご夫妻や安倍首相、舛添都知事のほか、遺族らが参列し、犠牲者の冥福を祈った。安倍首相は「悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻みながら、世界の恒久平和のために、あたう限り貢献してまいります」と述べた。
1945年3月10日未明、東京は下町を中心に、アメリカ軍のB29による激しい空襲を受けた。
およそ27万戸の建物が焼け、10万人以上が犠牲になったとされている。
火の海と化した東京。
この時、アメリカ軍が投下したのが「焼夷(しょうい)弾」。
空襲体験者は「焼夷弾ってね、100メートル先でも、200メートル先でも落ちると、昼間のようになって、怖かったですよね」、「焼夷弾は本当に怖いです。家を1歩出たら、火の海でしたね。今思えば、生き地獄」などと語った。
東京・江東区の戦災資料センターには、東京を焼け野原にした焼夷弾の実物が展示されている。
長さは50cmほどで、焼夷弾が筒状のものの中に38発入れられており、空からまかれ、バラバラに散らばるように作られていたという。
空襲体験者・狩野光男さん(84)は「炎に包まれた人は、ゴロゴロと転がるんですけど、土で消そうと思うけど、消えないんです」と語った。
専門家は、中にガソリンなどが入った焼夷弾は、木造家屋の密集する日本に特化して作られたものだと話す。
東京大空襲・戦災資料センターの山辺昌彦主任研究員は「(焼夷弾は)着地すると、信管が取れて、溶け出して、人や建物の壁とかふすまについて、なかなか取れない。取ろうと思っても取れないので消しにくい。そして燃やしてしまう」と語った。
多くの日本の民間人の命を奪った焼夷弾だが、最近ではその事実を知らない人が増えている。
70年の月日が経て語り継がれる焼夷弾の恐ろしさ。
山辺主任研究員は「民間の人を殺したり、住宅を焼いたりするのは、やはり非人道的なやり方だし、そういうこと(民間人の居住地を攻撃したこと)自体が、非常に問題が多いことだと思います」と語った。
東京大空襲の記憶は、戦争の非人道性を今も強く物語っている。
東京の空に降り注いで、10万人もの命を奪ったアメリカ軍の焼夷弾は、その後、1983年に発効した「特定通常兵器使用禁止制限条約」によって、民間人への攻撃、そして人口密集地での使用については禁止とされた。 (引用ここまで)
東京都慰霊堂で行われた式典には、秋篠宮ご夫妻が参列されたほか、安倍総理大臣や舛添都知事、遺族らが出席しました。出席者は焼香を行い、手を合わせるなど空襲で犠牲になった人々を追悼しました。
母を亡くした女性(87):「(空襲は)きのうのことのよう。すごかったです。生き地獄でした」
父と兄を亡くした女性(80):「これからの人には、戦争を絶対しないように肝に銘じてほしい」
東京都慰霊堂には、東京大空襲などの犠牲者、約10万5000人の遺骨が納められています。(引用ここまで)
およそ10万人が犠牲になったといわれる東京大空襲から70年のきょう、東京都慰霊堂で大法要が営まれました。大法要には遺族のほか、秋篠宮さまご夫妻、舛添東京都知事、それに安倍総理大臣が総理としては初めて出席し「悲惨な戦争の教訓を胸に刻みながら世界の恒久平和にあたう限り貢献してまいります」と述べました。(引用ここまで)