愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

主権在民・国民主権の時代に宮中祭祀に参加する首相の憲法違反が堂々とまかり通る日本の民主主義

2015-03-22 | 天皇制

GHQが「宮中祭祀」を温存したのは何故か!

憲法を「押し付けたGHQ」とデタラメを吐く安倍首相の身勝手浮き彫り!

昨日車中にてTBSラジオを聴いていたら、天皇が風邪気味で宮中祭祀を取りやめたとのニュースが読まれました。以下新聞記事をご覧ください。

朝日 天皇陛下、宮中祭祀への出席取りやめ 風邪の症状  2015年3月21日09時08分http://www.asahi.com/articles/ASH3P2VH1H3PUTIL006.html
宮内庁は21日、天皇陛下が風邪の症状のため、同日午前に予定されていた宮中祭祀(さいし)の春季皇霊祭・春季神殿祭の儀への出席を取りやめたと発表した。症状は軽く、大事を取ったという。天皇陛下は宮城県訪問や皇居・宮殿の行事など多忙な日程が続いていた。(引用ここまで)

その時、天皇の行う「宮中祭祀」を「公務」と表現したのです。「宮中祭祀」は「国事行為」ではないし、憲法20条からすれば、天皇家の「私的行事」です。そこで、検証してみることにしました。と思ったら、別件で首相の動静を調べてみました。驚きました。気が付きませんでした。

首相動静―3月21日  2015年3月21日19時30分http://www.asahi.com/articles/ASH3P5RXKH3PUTFK00B.html
【午前】9時29分、皇居。春季皇霊祭・神殿祭の儀に出席。10時59分、公邸。
【午後】1時9分、東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」。「NAGOMIスパアンドフィットネス」で運動。3時25分、公邸(引用ここまで

そこで、昨年を調べてみたら、以下のようになっていました。この時は「タモリ事件」に目を奪われていました。

首相動静―3月21日  2014年3月21日20時45分http://www.asahi.com/articles/ASG3P4K4KG3PUTFK00D.html
【午前】9時39分、皇居。春季皇霊祭・神殿祭の儀に出席。11時20分、東京・富ケ谷の自宅。
【午後】0時23分、東京・新宿の「スタジオアルタ」。29分、フジテレビのバラエティー番組「笑っていいとも!」に出演。司会のタモリさんとイチゴを試食。1時11分、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急。中国料理店「星ケ岡」で秘書官と食事。44分、公邸。45分、加藤官房副長官、礒崎首相補佐官、谷内国家安全保障局長、杉山、長嶺両外務審議官、針原農水審議官、近藤駿介原子力委員会委員長ら。2時25分、近藤氏出る。47分、礒崎、針原両氏出る。3時4分、古沢財務官加わる。28分、谷内、古沢両氏出る。31分、加藤、杉山、長嶺各氏出る。5時30分、マレーシアのナジブ首相と電話協議。(引用ここまで

そこで日本国憲法を再度確認してみます。

前文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない
第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(引用ここまで

どうでしょうか。安倍首相が、事あるごとに口にする「法の支配」「民主主義や人権の尊重などを価値として共有する 国家との関係を強化しようという価値観外交」などが、如何に大ウソか明らかです。安倍首相の言行不一致を質して糾していけば、あっという間に退陣を余儀なくされていることでしょう。そこで「宮中祭祀」を調べてみました。以下は参考になりました。

原武史『昭和天皇』(岩波新書刊08年1月刊)  村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書刊77年2月刊)

宮中祭祀(2009年05月06日 朝刊)http://www.asahi.com/topics/word/.html
天皇が執り行う祭祀。皇居の中の宮中三殿(神殿、賢所、皇霊殿)で行われる。新嘗祭を除くほとんどが明治以降につくられ、1908(明治41)年の皇室祭祀令で明文化された。戦前は公務とされたが、戦後、皇室祭祀令は廃止され、新憲法下では天皇家の私事として行われている。(引用ここまで

宮中祭祀 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80
近代以前 中世の順徳天皇は、『禁秘抄』で「禁中作法先神事」と述べたように、天皇は肇国以来「神事」を最優先としている。四方拝などは江戸時代以前から歴代の天皇に引き継がれた行事である。
江戸時代中・後期には水戸学に基づいた尊王論の高まりがあり、新嘗祭など祭祀の再興が盛んになった。
明治期から戦前まで 今日行われている祭祀の多くは、明治維新期に大宝令、貞観儀式、延喜式などを継承して再編された物である。天皇の「現人神」としての神格化や神仏分離などに合わせて、途絶えていた祭祀の復興や新たな祭祀の創出が行われた。1871年(明治4年)には「神社は国家の宗祀」との太政官布告が出され、1908年には宮中祭祀について定めた皇室祭祀令が皇室令の一つとして制定された。宮城内の水田では稲作が行われ、昭和天皇以降は自ら田植えをするようになった。収穫された米は供物として、祭祀の際に用いられている。
戦後 1945年(昭和20年)に日本が敗戦し、戦後の連合国軍司令部による統治の下で、宮内省は宮内府・宮内庁へと移行される。また、国政と切り離されていた旧皇室典範は日本国憲法施行に合わせて廃止され、全面的に改定された皇室典範は一般法の一つとなった。これに合わせて、皇室祭祀令など戦前の皇室令も、一旦全て廃止されたものの、宮内庁は内部通牒を出し、「新たに明文の規定がなくなった事項については、旧皇室令に準じて実施すること」を確認している。
現代での位置づけ 日本国憲法やその下の法律に宮中祭祀についての明文の規定はなく、現在の宮中祭祀も皇室祭祀令に基づいて行われている。また、これに係る予算も皇室の内廷費によって処理されている。このため、多くの憲法学者が、戦後の宮中祭祀を「天皇が私的に執り行う儀式」と解釈するようになった。
宮内庁の公式HPでは、宮中祭祀を「宮中のご公務など」の項で説明している。
また、内閣総理大臣はじめ三権の長が、大祭を中心に一部の祭祀に陪席していることが確認されている。佐藤栄作は首相在任期間中、春季皇霊祭・春季神殿祭、秋季皇霊祭・秋季神殿祭、新嘗祭にほとんど出席しており、NHKスペシャル『象徴天皇 素顔の記録』(2009年4月10日放送、天皇・皇后成婚50周年の記念番組)では、当時の麻生太郎首相ほか三権の長が、春季皇霊祭・春季神殿祭に出席している映像が放映された。
制度としての宮中祭祀が確立して以降の天皇では明治天皇や大正天皇はあまり熱心ではなく、侍従らが代拝するのが主であった。一方で、貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は非常に熱心であった。
在位後期に侍従長であった入江相政は、昭和40年代から50年代に昭和天皇の高齢を理由とした祭祀の簡略化を推進したことがその日記から伺えるが、昭和天皇は1986年(昭和61年)まで新嘗祭の親祭を続けた。
今上天皇・皇后も祭祀にはきわめて熱心であり、諒闇(服喪中)や病気を除くとほとんどの宮中祭祀に代拝を立てず御自ら出席している。
祭祀に関しては、事前の潔斎と平安装束を着用する事に加え、長時間の正座が必要であり、生前の昭和天皇は祭祀が近づくと、正座してテレビを視聴するなど、意識的に長時間正座することを心がけていたという。今上天皇も新嘗祭の時節が近づくと、昭和天皇と同様に正座の練習をするとのことである。
在位20年を経た2009年(平成21年)以降は、高齢である今上天皇の健康への配慮、負担軽減のため、祭祀の簡略化や調整が計画、実施されている。
主な祭儀 太字のものは大祭
1月1日 四方拝(しほうはい)、http://www.wikiwand.com/ja/%E5%9B%9B%E6%96%B9%E6%8B%9D
歳旦祭(さいたんさい)
1月3日 元始祭(げんしさい)
1月4日 奏事始(そうじはじめ)
1月7日 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい)
1月30日 孝明天皇例祭(こうめいてんのうれいさい)
2月17日 祈年祭(きねんさい)
春分の日 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭(しゅんきしんでんさい)
4月3日 神武天皇祭(じんむてんのうさい)、皇霊殿御神楽(こうれいでんみかぐら)
6月30日 節折(よおり) 、大祓(おおはらい)
7月30日 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい)
秋分の日 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭(しゅうきしんでんさい)
10月17日 神嘗祭(かんなめさい)
11月23日 新嘗祭(にいなめさい)
12月中旬 賢所御神楽(かしこどころみかぐら)
12月23日 天長祭(てんちょうさい)
12月25日 大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい)
12月31日 節折(よおり)、大祓(おおはらい)
毎月1、11、21日 旬祭(しゅんさい)
毎日 日供の儀(にっくにのぎ) 毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)
皇室祭祀令との差異
2月11日 紀元節祭(きげんせつさい)廃止
天長節祭から天長祭へ名称変更(引用ここまで

旧祝祭日 http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/SAIJI004B.html

宮中祭祀とは何か http://www.nihonbunka.or.jp/knowledge/saishi
15世紀後半の応仁の乱以降は中絶した儀式もありますが、明治維新後は途切れていた祭祀が再興され、また、新しい祭祀が創出され、明治41年の皇室祭祀令によって法的な整備がなされます。また、それぞれの祭祀に対応する国の祝祭日が定められ、宮中祭祀は、国民生活にも広く浸透していきました。皇室祭祀令は新しい皇室典範の施行と同時に廃止されましたが、宮中祭祀はほぼその規定に準拠して、現在も厳修されています。なお、現在、宮中祭祀は皇室の「私事」として扱われていますが、その趣旨は、あくまでも国家・国民の安寧幸福と世界平和を祈られることにあり、象徴天皇にふさわしい「公事」であるとする有力な見解もあります。
宮中三殿とは皇居内吹上御苑の東南にある、賢所、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)の総称で、皇室の祭祀は主としてここと各地の山陵で行われています。明治22年に完成した三殿の高い土塀を巡らせた敷地の広さは約7260平方メートル、その中央に賢所、向かって左が皇霊殿、右が神殿となり、いずれも銅葺きの総檜による入母屋(いりもや)造り。賢所は左右両殿より大きく、三殿はそれぞれ廊下で結ばれています。
賢所は明治以前の京都御所にもありましたが、皇霊殿と神殿は明治維新以降の宮中祭祀制度の再編にもっとも尊い御殿とされ、かつては恐れ畏(かしこ)むの意味で「威所」「恐所」とも書かれました。明治以前は天皇のお側近く仕えた内侍が奉仕したため(現在は内掌典が奉仕)、内侍所と呼ばれ、また、あるいは温明殿(うんめいでん)、春興殿(しゅんこうでん)という名も残っています。
賢所の次に位置づけられる皇霊殿は、神武天皇から昭和天皇に至る、124代の天皇や歴代外天皇、皇后、皇族方をお祀りしています。もともと天皇・皇族はそれぞれの陵墓に葬(こも)られていましたが、平安時代以降、仏教の隆盛によって、賢所と同様、内掌典が中心となって奉仕しています。
また神殿には、八神(天皇の守護神である八柱の神)、天神地祇(てんしんちぎ=天つ神、国つ神)が祀られています。構内には、三殿に付属して神嘉殿(しんかでん)、神楽舎、綾綺殿(りょうきでん)、奏楽舎、帳舎(あくしゃ)といった建物がありますが、神嘉殿では新嘗祭が斎行され、綾綺殿では新嘗祭に先立って鎮魂祭の古儀が行われます。(引用ここまで

天皇陛下の御公務と祭祀 http://princefamily.gooside.com/saishi.html
宮中祭祀は、天皇が国民のため、皇室の祖先である天照大神をはじめ、歴代の皇霊、八百万(やおよろず)の神々に国家安泰や五穀豊穣を祈願する儀式である。天皇自らが祭典を行い、御告文(おつげぶみ)を奏上される大祭と、掌典長が祭典を行い、天皇が拝礼される小祭がある。今上天皇は昭和天皇にならい、厳格に心を込めて祭祀を執り行われている。(引用ここまで

天皇は「神聖不可侵」から「天皇ヲ以テ現御神トシ…架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」としたのに「私的行事」として「宮中」における「祭祀」は容認してきたGHQです。そのの意図は何か!しかし、ここで面白いのは、安倍首相は憲法は「押し付けた」と繰り返しでデタラメを言っていますが、そのGHQが「宮中祭祀」を容認したことは問題にしないのです。そうして天皇家の「私的行事」である「宮中祭祭祀」に「総理大臣」として参列しているのです。明らかに憲法違反です。

しかし、伊勢神宮参拝と同様に問題視していないのが日本のマスメディアなのです。こんな憲法違反を繰り返しているのですが!すでに既成事実化いているのです。国民は、愛国者の邪論が気付かなかったように、全く気付いていません!何故か!明瞭です。以下ご覧ください。

スリカエ・デタラメ・ゴマカシ・大ウソ・トリックだらけの「神聖不可侵」論!

大日本帝国憲法 http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
憲法発布勅語 惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ(引用ここまで

教育勅語 - 原文と現代語訳 http://kan-chan.stbbs.net/docs/chokugo.html

天皇「人間宣言」 | 日本国憲法の誕生 - 国立国会図書館http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056shoshi.html
1946(昭和21)年1月1日に発せられた詔書。このなかで昭和天皇は、天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念であると述べ、自らの神性を否定した。これは、後に、天皇の地位に根本的な変更がもたらされる布石ともなった。同日、マッカーサーはこの詔書に対する声明を発表し、天皇が日本国民の民主化に指導的役割を果たしたと高く評価した。(引用ここまで

新日本建設に関する詔書 1946(昭和21)年1月1日http://tamutamu2011.kuronowish.com/ninngennsenngenn.htm
http://www.chukai.ne.jp/~masago/ningen.html

昭和天皇は「人間宣言」などされていなかった!  2007年08月20日  http://ameblo.jp/hakkouichiu/entry-10044035755.html

天皇人間宣言という嘘 現代語訳  https://www.youtube.com/watch?v=3eHkafPHdOw

人間宣言 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%A3%E8%A8%80
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ— 新日本建設に関する詔書より抜粋
このGHQ主導による詔書により、天皇が神であることが否定された。しかし、天皇と日本国民の祖先が日本神話の神であることを否定していない。歴代天皇の神格も否定していない。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止するわけでもなかった
ポツダム宣言受諾による終敗から4か月余、日本は大日本帝国憲法の施行下にあった。
1945年(昭和20年)12月15日、GHQの民間情報教育局 (CIES) 宗教課は、国家が神道を支援・監督・普及することを禁止する「神道指令」を発した。さらに、天皇は他国の元首より秀でた存在で、日本人は他の国民よりまさっている、といった教説を教えることを非合法化したしかし、天皇が皇居で執り行う宗教儀式(宮中祭祀)は私的な事柄とされて、禁じられなかった。占領当局は天皇自身で自分の神格を否定してほしいと期待したため、神道指令では天皇の神格について言及しなかった。自分を神と主張したことのない昭和天皇は、占領当局の意向に同意した。(引用ここまで

国権の長すら問題にしていない!

江田五月 活動日誌3月21日(日) 春季皇霊祭、二宮さんら、帰岡 ― 2010年03月21日http://eda.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962838  
二宮さんと横浜クラブ-記念写真
今日は、夜半からの春の嵐が嘘のように治まり、9時半に議員宿舎を出て、春季皇霊祭の儀及び同神殿祭の儀に参列のため、9時40分に皇居の賢所参集所に、鳩山首相、横路衆議院議長、私、竹崎最高裁長官らがモーニング姿で集合。
間もなく順次、幄舎に移動し、秋篠宮と常陸宮の各同妃両殿下、三笠宮寛仁親王殿下、高円宮妃殿下が着床されました。10時から、天皇陛下が皇霊殿と神殿の順に、出御されて御拝礼と御告文御奏上の後入御され、皇后陛下が両殿に出御され御拝礼の後入御され、皇太子殿下が同様に御参進され御拝礼の後退下されました。その後、皇族の皆さんが順に両殿に拝礼して退出され、私たちが続きました。 (略)(引用ここまで

個人と機関の区別を混同している、させてきたジャーナリストの典型!

天皇制を理屈より感情で、井戸端談義でゴマカス!

最初から国民には知らせていなかったくせにゴマカス!

 

久能靖著『カラー図説 天皇の祈りと宮中祭祀』(勉誠出版)
皇室ジャーナリストが明かす宮中祭祀の全てhttp://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100243
「皇室は祈りでありたい」と、天皇は即位から二十五年、皇后ともに常に国民により添い、国家国民の安寧を祈り続けてこられた。
報道によって国民の目に見える祈りとは別に、国民の目に触れることがほとんどないもう一つの天皇の祈りがある。それは天皇が公務とともに大切にされてきた宮中祭祀である。
かつては国家行事であった宮中祭祀が戦後天皇家の私的行事になってしまったために国民にはどの様な祭祀がどのような形で行われ、天皇が何を祈られているのか全く知るすべがなくなってしまった
このため最近は天皇の御負担軽減の一つとして宮中祭祀そのものを簡素化すべきだという意見さえ出始めている。
たしかに宮中祭祀は秘め事の一面はあるものの、身を清め、祭服に着替えて御自分のことではなく常に国民国家のことを祈り続けるお姿から天皇の深い思いを知れば軽々に論ずべき問題でないことがわかるだろう。その意味からも宮中祭祀の真の姿を知って欲しいと思う。(引用ここまで

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無謀な島しょ作戦回避は対話と交流だが脅威を煽り戦争責任曖昧で軍事優先主義を謀る安倍政権は退場!

2015-03-22 | 東アジア平和共同体

硫黄島の島しょ作戦の無謀無策を教訓化しないのは軍事抑止力論に立つからだ!

硫黄島の教訓の黙殺と対中脅威論の思想は侵略戦争の正当化にあり!

20世紀型軍事優先の遺物=日米軍事同盟深化論・米の肩代わり戦法がある!

安倍政権の手口をバラバラに報道するマスコミの知的退廃浮き彫り記事!

中国「脅威」論に有効な対策は「対話と交流」なのに、いっさい無視だ!

中谷防衛大臣の思想の誤りは「皆さん一人一人の努力で日本の防衛という使命が果たされている」のではなく憲法と国際法が根底にあるということを黙殺しています!こんな人が防衛大臣です。戦争は政治によって防止できると言うのは、軍事論から言っても常識です。何故、このことを無視するのでしょうか。こんな大臣の下で働かなければならない自衛官が可哀そうです。命を粗末にしている思想があるからです。

「中国が海洋進出を活発化させていることなどを念頭に、離島防衛のための警戒監視体制を強化していく考えを示しました」というNHKの報道の仕方は、「対話と交流」によってこそ、「紛争」が解決できることを強調しない憲法9条を使わない違憲報道です。こんなことを語って、国民をどのような方向に持っていこうとしているのでしょうか。

「中国の海洋進出」に対抗しるために「離島防衛のための警戒監視体制を強化していく」路線の行き着く先は何か!明らかにすべきです。全くムダなことをやっているのです。互いに「軍事優先」の「軍事抑止力」の行き着く先が何を意味しているか!それとも、武力で解決するというのでしょうか!無責任にも程があります!

一見すると対中脅威に対応するための「離島防衛のための合同の上陸訓練など」としていますが、これは尖閣問題だけでなく、「地球儀を俯瞰する」日米軍事同盟深化論を正当化していることは、「自公合意」を視れば明らかです。アメリカと中国が尖閣問題で武力行使をすること、しかも全面戦争に至ることはあり得ないでしょう。米中の経済関係を視れば一目瞭然です。ゴマカシ・スリカエ・デタラメ・大ウソ・トリックです。

NHK 防衛相 離島防衛へ警戒監視強化の考え 3月21日 22時52分 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150321/k10010023801000.html

防衛相 離島防衛へ警戒監視強化の考え
 
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中谷防衛大臣は、小笠原諸島の硫黄島を訪問して海上自衛隊の基地を視察し、記者団に対し、中国が海洋進出を活発化させていることなどを念頭に、離島防衛のための警戒監視体制を強化していく考えを示しました
中谷防衛大臣は21日、太平洋戦争の末期に激戦地となった小笠原諸島の硫黄島を訪れ、日米双方の戦没者の追悼式に出席したあと、海上自衛隊の基地を視察しました。中谷大臣は、およそ100人の隊員に対し、「東京からおよそ1300キロ離れた孤島という厳しい環境のなか、皆さん一人一人の努力で日本の防衛という使命が果たされていることを実感した」と激励しました。
このあと、中谷大臣は記者団に対し、「この基地には空から警戒監視を行う部隊を配置しておらず、その空白を埋めなければならないという認識を持った」と述べ、中国が海洋進出を活発化させていることなどを念頭に、離島防衛のための警戒監視体制を強化していく考えを示しました。
また、中谷大臣はアメリカのメイバス海軍長官と会談し、離島防衛のための合同の上陸訓練などを通じて日米の連携を強化していくことで一致しました。(引用ここまで
 
侵略戦争の歴史認識問題の発信源はどこか!曖昧にする報道に大喝!
侵略戦争責任を曖昧にする安倍政権を批判しないマスメディアの知的退廃!
 
NHK 日中韓の首脳会議 日程調整には時間 3月22日 5時11分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150322/k10010023931000.html
日中韓の首脳会議 日程調整には時間
 
k10010023931_201503220507_201503220509.mp4
政府は、およそ3年ぶりに開かれた日本と中国、韓国の3か国の外相会議で、3か国の首脳会議の開催に向けて努力することで一致したことは一定の成果だとしていますが、中韓両国からは、歴史認識の問題を巡って日本をけん制する発言が相次ぎ、首脳会議の具体的な日程の調整は時間がかかる見通しです
およそ3年ぶりとなる、日本と中国、韓国の3か国の外相会議が21日、ソウルで開かれ、平成24年5月以来、開かれていない3か国の首脳会議を3か国にとって最も早期で都合のよい時期に開催するため、引き続き努力していくことなどで一致しました。
これについて政府は、アジア太平洋地域の平和と安定にとって日中韓3か国の連携は不可欠だとしており、岸田外務大臣が「首脳会議の早期開催で一致したことを歓迎する」と述べるなど一定の成果だとしています。
ただ、外相会議に合わせて行われた日中外相会談で、中国の王毅外相が「日本がどのように歴史に向き合うか注目している」と述べたほか、韓国のパク・クネ(朴槿恵)大統領も3か国の外相との会談で、「『歴史』によって、3か国の協力の弾みが作り出される貴重な1年になることを期待している」と述べるなど、中韓両国からは、歴史認識の問題を巡る日本側の対応をけん制する発言が相次ぎました。
これに関連して、外務省幹部は「中韓両国は、安倍総理大臣が戦後70年のことし発表することにしている『総理大臣談話』の内容も見極めたうえで、首脳会議の時期などを判断しようとしているのではないか」と述べており、首脳会議の具体的な日程の調整は時間がかかる見通しです。(引用ここまで
 
「日本は従来から3か国の首脳会議の早期開催を重視しており」
どこまで無責任と責任転嫁とスリカエを謀るのか!
日本国内のナショナリズム向けは止めろ!
「3か国にとって歴史問題は過去形ではなく現在進行形だ」
この意味を掘り下げ手報道しろ!
北東アジアの平和の枠組みにとって歴史問題の解決は不可欠だ!
「北朝鮮の非核化」はヒロシマ・ナガサキと憲法9条を使うのだ!
安倍政権の取るべき道は憲法9条を活かす思想と外交努力しかないぞ!
 
NHK 日中韓外相会議 首脳会議の早期開催で一致 3月21日 19時37分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150321/k10010023701000.html
日中韓外相会議 首脳会議の早期開催で一致
 
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およそ3年ぶりとなる日本と中国、韓国の3か国の外相会議が韓国のソウルで開かれ、3か国の首脳会議について「3か国にとって最も早期で都合のよい時期に開催すべく努力していく」などとする共同発表を取りまとめました。岸田外務大臣は、会議のあとの共同記者発表で「首脳会議の早期開催で一致したことを歓迎する」と述べました。
平成24年4月以来、およそ3年ぶりとなる3か国の外相会議は、ソウル市内のホテルで、岸田外務大臣、中国の王毅外相、韓国のユン・ビョンセ(尹炳世)外相が出席して開かれ、3か国は成果などを盛り込んだ共同発表を取りまとめました。
それによりますと、「今回の外相会議の機会に3か国の協力が回復に向かうことに期待し、北東アジアの平和や安定のための重要な枠組みとして、引き続き維持・発展させるべきだという認識を共有した」としています。そのうえで、「3か国の間のさまざまな協力事業を一層促進し、災害や環境、青少年交流などの分野で協力を拡大することを決定した」としています。そして、平成24年5月以来開かれていない3か国の首脳会議について、「3か国にとって最も早期で都合のよい時期に開催すべく、引き続き努力していくことを決定した」としています。
一方、それぞれの2国間関係が3か国協力の重要な基礎となるとして、「歴史を直視し、未来に向かうという精神の下で、関連する課題に適切に対処することで一致した」としています。
また、共同発表では、▽北朝鮮による核兵器開発は断じて容認できないことを再確認し、非核化の実質的な進展を図るため北朝鮮の核問題を巡る6か国協議の再開に向けて共に努力を継続することや、▽テロや過激主義への対応やウクライナ情勢など、国際社会が直面するさまざまな課題に緊密に連携していくことなども盛り込んでいます。
岸田大臣は会議のあとの共同記者発表で、「日本は従来から3か国の首脳会議の早期開催を重視しており、きょうの外相会議で早期開催で一致したことを歓迎する。中韓両国と協力し、開催に向けた努力を一層進めていきたい」と述べました。また、岸田大臣は、会議の中で北朝鮮による拉致問題の解決に向けて、中韓両国に改めて協力を求めたことを明らかにしました。

王毅外相「歴史直視が3か国の共通認識」

共同記者発表で中国の王毅外相は、「3年ぶりに3か国の外相会議が行われたことは3か国にとってよいニュースで、協力が正常な軌道に戻ったということだ」と述べ、今回の成果を強調しました。
そのうえで、王毅外相は「今、真剣に考えるべきことは、どのようにこの協力の進展を妨げるようなことを再び起こさず、3か国の協力を健全で安定的な発展として維持できるかどうかだ」と述べました。そして「近年とりわけ、日中関係、日韓関係では、歴史認識の問題が困難を作り、協力も妨げ、3か国の共通利益にもかなっていない。戦後70年が過ぎて、3か国にとって歴史問題は過去形ではなく現在進行形だ。しかし、これを将来に持ち越すわけにはいかない。歴史を直視して未来を切り開くこと。これが今回得られた3か国の共通認識だ。また、最も重要で意義のある成果だ」と述べました。
王毅外相のこの発言は、中国として、安倍総理大臣が戦後70年のことし発表する「総理大臣談話」など、日本の歴史認識について注視している立場を強調し、日本を強くけん制したものとみられます

ユン外相「北朝鮮非核化へ共に努力」

韓国のユン・ビョンセ外相は会議での合意内容を発表し、この中で「きょうの会議を契機に、3か国の協力体制の復元が加速するよう努力を強化することになった」と述べました。そして、3か国の首脳会議に関しては、「最も早くて都合のよい時期に開催されるよう努力していく」と述べました。
また、ユン外相は「歴史を直視して未来に向かって進むという精神のもと、3か国が問題を適切に処理して、関係改善と強化のため、共に努力していくことになった」と述べ、歴史認識を巡る対立の解消を目指してそれぞれの国が取り組むことで一致したと説明しました。
さらに、北朝鮮の核開発問題については、「核能力が向上するのを早期に食い止め、北朝鮮の非核化へ実質的な進展を成し遂げられる、意味のある対話が再開できるよう、共に努力を続ける」と述べ、非核化に向けた対話の再開を目指すことを明らかにしました。引用ここまで
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国力を無視した侵略戦争の戦争指導を免罪する硫黄島の日米追悼式!島しょ作戦の無謀浮き彫りなのに!

2015-03-22 | 靖国神社

硫黄島の「悲惨」を強調し、「英霊」を賛美する思想と論理に大喝!

何故硫黄島の「悲惨」が造られたか、全く問題にしていない!

以下のニュースが報道されました。またしても、戦争責任を免罪するニュースが流されました。こうしたニュースが繰り返されることが、安倍政権を免罪していることを告発しておかなければなりません。それは、一つは、侵略戦争の戦争責任を曖昧にしながら挑発的言動を繰り返している安倍政権を批判する中韓を「反日」と煽っていることを免罪していること。二つは、こうした安倍政権批判は中韓など対外的なものではなく、日本国民自身が批判しなければならないもおであることを曖昧にして免罪しているということです。

この二つの側面から安倍政権の戦争責任問題を論じていかなければならないのに、以下のようなマスコミの報道とその態度では、真の戦争責任問題を論じ克服していくことはできませんん。「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさない」「決意」とは、こうした安倍政権を徹底して批判していくことであって、中韓など外国から言われるまでもないということを自覚しなければならないのです。

以下何が問題か、検証してみます。

1.硫黄島のような悲惨な戦闘が起こったのは、そもそも無謀な侵略戦争を起こしたことです。何故、無謀か、それは対英米蘭戦争を起こす際の日本の「国力」を無視した戦争に突入したことです。このことは、すでに様々なところで言われていることです。主なものをあげておきます。ここで論じられていることは、マスコミには全くと言って良いほど登場させないのです。登場させているのは、安倍派の言動ばかりです。

山田 朗 (著)大元帥・昭和天皇』新日本出版社  単行本 – 1994/11

山田 朗 (著)昭和天皇の軍事思想と戦略』校倉書房  単行本 – 2002/6

山田 朗 (著) 『軍備拡張の近代史――日本軍の膨張と崩壊』(吉川弘文館、1997年)

4.ところが、以上の「経過」と「諸事実」を無視して、一貫していることは、「今日の平和は、国や家族を愛する戦士たちの犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立っている」などと、的外れのことを言って、侵略戦争の戦争指導の無策を免罪しているのです。しかも免罪ばかりか、「犠牲」があったから、「平和」があると、「犠牲」を強いたことを語らず戦争指導を正当化しているのです。これほどの冒涜はありません。彼らが、生き残ったのならば、戦後どのような人生が待っていたのか、そのような想像力は欠落しているのです。全くの不道徳です。

5.しかも、「徹底抗戦した後、玉砕した」などと、国際法違反の「玉砕」を強制したことを「免罪」「正当化」するばかりか、「美化」しているのです

筋金入りの大東亜戦争正当化論者新藤総務相の身勝手無自覚靖国参拝で英霊、国民、被害国、歴史を冒涜!2014-01-03 00:31:37 | 日記 http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/c88c5c4ba325b0f059bb3b314b9ec37a

安倍首相の硫黄島訪問にみる英霊冒涜と利用、戦争責任不問の不道徳ぶりこそ、改憲派の本質!2013-04-15 23:47:09 | 日記 http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/ceff11cd9bc76f2650f620fe099e4ae6

6.もう一つは、硫黄島の島しょ作戦防衛作戦が、如何に無謀なものか、スルーしていることです。そのような無謀な作戦を教訓にするのであれば、現在の、いわゆる尖閣諸島問題に対してどのような対応が求められているのか、明らかです。しかし、戦争指導の責任を免罪している安倍政権とそれを批判しないマスコミは、戦前の天皇制軍部独裁政権の思考回路をそのまま引き継いでいるとしか言えない実態が、ニュースを視ていると言わざるを得ません。最大の教訓は平和外交、対話と交流で解決すべきところですが、このような思考回路は停止していることです。

「日米が恩讐を超え」ることができたのは何故か。「『昨日の敵が今日の友』となり名誉の再会ができた」のは何故か。このことをどのように総括するか、現代社会にどのように活かしていくのか、不問です。寧ろ日米軍事同盟の深化と憲法平和主義を否定する方向に向かっているのです。全く「国や家族を愛する戦士たちの犠牲と両国民のたゆまぬ努力」を否定するものと言えます。

7.「今日の平和は、国や家族を愛する戦士たちの犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立っている」というのであれば、「日本兵の遺骨収容は昭和27年に始まったが、約1万2千柱が未収容」としてきたなどということはあり得ないはずです。こうした事実を視れば、戦後自民党政権の遺骨を野放しにしてきた姿勢がどのようなものか、明らかと言えます。

以下記事をご覧ください。 

NHK  硫黄島の戦没者 日米合同の追悼式  3月21日 22時14分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150321/k10010023781000.html

硫黄島の戦没者 日米合同の追悼式
 
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太平洋戦争の末期、日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われた小笠原諸島の硫黄島で、日米合同の追悼式が行われ、戦没者の遺族のほか、日本側から初めて閣僚2人が参列しました。
硫黄島では、太平洋戦争末期の昭和20年2月から3月にかけて日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われ、日本側でおよそ2万1900人、アメリカ側でおよそ6800人が犠牲になりました。
戦後70年となるなか、21日行われた日米合同の追悼式には、戦没者の遺族や政府関係者らおよそ550人が出席し、日本側からは塩崎厚生労働大臣と中谷防衛大臣が閣僚として初めて参列しました。
この中で、遺族でつくる「硫黄島協会」の寺本鐵朗会長は、「硫黄島での壮烈な戦いの記憶が風化しつつあるが、今日の平和は、国や家族を愛する戦士たちの犠牲と両国民のたゆまぬ努力の上に成り立っていることを忘れてはならない」と追悼のことばを述べました。そして、参列者の代表が、記念碑に献花したあと戦没者に黙とうをささげました。
式典のあと塩崎大臣は記者団に対し、硫黄島での遺骨収集について、「情報収集が何よりも大事であり、アメリカの国立公文書館のほか海軍と陸軍が持っている資料の調査を徹底的に行い、遺骨収集の事業に当たりたい」と述べました。(引用ここまで
 
 
産経 硫黄島で日米合同慰霊式典 閣僚初参加 2015.3.21 18:12更新http://www.sankei.com/politics/news/150321/plt1503210019-n1.html
日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式などに参列するため、硫黄島に到着した遺族ら=21日、東京都小笠原村(代表撮影)

先の大戦で激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)で、日米合同の慰霊式典が21日午前、開かれた。中谷元・防衛相や塩崎恭久厚生労働相ら両国の政府高官、退役軍人、遺族など約550人が参列し、日米合わせて約2万9千人に上る戦没者を追悼した。遺族らでつくる硫黄島協会によると閣僚の出席は初めて。

硫黄島協会の寺本鉄朗会長はあいさつで「日米が恩讐を超え、追悼式が盛大に開催されたことに衷心より感謝する」と述べた。島での戦闘を経験したスノードン元海兵隊中将は「『昨日の敵が今日の友』となり名誉の再会ができた。日米両国の結束を世界に示している」と強調した。塩崎、中谷両氏らが献花した。

厚労省によると、日本兵約2万2千人、米兵約7千人が亡くなった。日本兵の遺骨収容は昭和27年に始まったが、約1万2千柱が未収容となっている。

米軍は20年2月に島に上陸した。栗林忠道陸軍中将を最高指揮官とする日本軍守備隊は地下壕を島中に張り巡らして、およそ1カ月の間、徹底抗戦した後、玉砕した。(引用ここまで

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