安倍政権のデタラメ・スリカエ・ゴマカシ・大ウソに対して、マスコミが効果的に反応していません。安倍式スリカエの思考回路の枠の中で、記事が垂れ流されています。社説も同じです。最大の問題は9条を使う、活かすという点で安倍首相を批判していないのです。あれこれの批判を書いてはあっても、実際は既成事実化に真っ向から対決していません!その好例が集団的自衛権行使の閣議決定を容認していることです。特定秘密保護法の廃止を呼びかけていないことです。安倍派の既成事実化の枠内に、国民の思考を持ち込んで、呼び込んでいるのです。これこそがナチスの手口です。以下、検証してみます。ご覧ください。
政府は六日の安全保障法制整備に関する与党協議で、素案を踏まえた法整備の方針を説明する。
素案は、日本への武力攻撃が発生する前後の対応を定めた現行の武力攻撃事態法に「存立危機事態」を書き加えることを明記。
自衛隊法も改正し、首相が自衛隊に防衛出動を命令できる場合に存立危機事態を追加するとした。現行の自衛隊法では、日本に対する武力攻撃が発生したか、発生する明白な危険が切迫していると認められる場合のみ、首相は防衛出動を命じることができる。
ただ、素案は具体的にどういう場合が存立危機事態に当たるのかという点に触れていない。安倍晋三首相は国会答弁で集団的自衛権の行使に関し、敵国への大規模空爆や地上部隊投入は否定しているが、こうした制限は閣議決定、今回の素案には明記されていない。
政府はさらに、存立危機事態で日本周辺の公海上の船舶の積み荷を強制的に検査できるようにする海上輸送規制法改正を検討。日本の防衛に当たる米軍への自治体の協力を定めた米軍行動関連措置法も、存立危機事態に適用できるように見直す方針だ。
一方、日本に対する武力攻撃時の住民への避難指示手続きを定めた国民保護法に関しては、存立危機事態に応じた新たな措置を規定する改正は見送る。国民に被害が及ぶ恐れのない状況でも、集団的自衛権の行使を想定していることになる。行使できるのは「日本が武力攻撃を受けた場合と同様の深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな場合」と説明してきた国会答弁と矛盾する可能性がある。
首都大学東京の木村草太准教授は「閣議決定を法制化した場合、政府が要件にあてはまると強弁し、日本への武力攻撃の明白な危険がないのに、違憲な空爆や地上軍派遣をしてしまう危険が出てくるだろう」と話す。
(
引用ここまで)
(昭和44年3月10日 参議院予算委員会 高辻法制局長官答弁)
……自衛権の行使については厳密な要件がある。……要するに、わが国に急迫不正の侵害がある。そして他に全くこれを防衛する手段がないという場合には、防衛する。ただし、それは必要な限度にとどめなければならない。これがいわゆる3要件であると思います。その3要件に適合しないものは、わが憲法といえどもむろん許さない。(引用ここまで)
憲法9条を使う、活かすなどという思想も思考回路もなし!
軍事優先か、非軍事優先か、いよいよ問われてきている!
1.「急迫不正の侵害」論です。日本を侵略するとする国が、何のために、どのようにして、侵略してくるのか、全く議論されていないことです。侵略するためには、何らかの「口実」があるはずです。建て前ととホンネです。このことは戦前の日本を視れば、アメリカのベトナム・アフガン・イラク戦争を視れば明らかです。ソ連のアフガン戦争も同じです。
島国である日本を攻撃する国が、大陸間弾道弾で、戦略爆撃機で、或は戦艦、潜水艦を使って攻撃したとしても、最終的には陸軍が日本に上陸しなければ、戦争目的を達成することはできなせん。このことは真珠湾攻撃を視れば明らかです。中国との「戦争」を視れば明らかです。オランダ・イギリスとの「戦争」を視れば明らかです。しかも、そのような「戦争」がどのような結果をもたらすか、歴史は雄弁に物語っています。
このような戦争史、近代史を視れば、今日日本が侵略されるなどということが妄想であることは明らかです。しかも、資源のない日本を「侵略」して「占領」して「征服」してどんな利点があるというのでしょうか。そのようなことが、現在の国際社会で許されないことは、歴史も事情も異なるイラクのクェート侵略を視れば明らかです。ウクライナ紛争を視れば明らかです。
2.「他に全くこれを防衛する手段がない」論です。そのような攻撃をする国に対して、「自衛隊」を使うということですが、万歩譲って、「急迫不正」の侵略攻撃があったとして、我が国が攻撃される前に、あるいは攻撃された場合、安全保障条約を使えば米軍と自衛隊が共同対処することになるでしょう。その場合も我が国の「施政権の範囲内」ということになります。当時で言えば「極東の範囲」ということでしょうか。そうなれば、日本の領土領空領海を超えることになります。
しかし、そこには欠落していることがあります。「急迫不正」の「侵略」に対して「防衛する手段がない」という曖昧な表現です。それは「政治」「外交」的手段を使うということです。「急迫不正」の「侵略」以前に使うべき非軍事的手段が欠落していることです。
まさに憲法9条を形骸化するために、憲法9条の本来の意味である「非軍事的手段」を黙殺して、「軍事的手段」しかないという思考回路で、国民を思考停止に持ち込んでいるのです。
3.次は、「その急迫不正な侵害を排除するために必要最小限度の力の行使にとどまるべき」論です。これもスリカエ・ゴマカシです。「急迫不正」の「侵略」行為が、どれほどのものになるか、万歩譲って大規模なものになったとしたら、「必要最小限度の力の行使」などと言っていたら、日本国土が占領され、首都東京が陥落させられてしまうのではないでしょうか。「必要最小限度の力の行使」で足りるような規模の「急迫不正」の「侵略」を想定しているのでしょうか。
全くのマンガチックな絵空事でしかありません。それはそうです。自衛隊を認知させるための「ためにする」言葉の遊びのだからです。憲法9条を使って「対話と交流」を、この場合はソ連・中国・北朝鮮と緊密にやる外交論があれば、このような身勝手な解釈をする必要も問題もないことだったからです。
しかし、現実は全く違っていました。それは韓国などと同じように、日米軍事同盟を使ってベトナム戦争に協力加担させるために集団的自衛権の行使が問題となってきており、そのことを貫くならば、自衛隊が憲法違反となってしまうことになり、そのことを必死になって食い止めるための「ウソも方便」策として、9条は個別的自衛権のみしか該当しない、集団的自衛権は9条に違反すると、憲法9条を政府自身が解釈したのでした。
60年代には、必ず集団的自衛権の行使問題と個別的自衛権行使問題が日米軍事同盟をどのように円滑かつ効果的に運用していくのか、をめぐってやり取りがされていることが何よりの証拠です。岸内閣でさえも、集団的自衛権の行使は9条を理由に正当化していないのでした。
4.これが、元になって、昨年まで政府の統一見解として継続されてきたのです。イラクのクェート侵略があった湾岸戦争以後、自衛隊の海外派兵を「派遣」として、「国際貢献」としてゴマカシても、スリカエても、9条が「歯止め」となっていたのでした。それが、安保再定義から9.11後に、次第に空洞化されてきたのですが、小泉内閣のアフガン・イラク戦争の「後方」「復興」支援が、アメリカの「ショー・ザフラッグ」「ブーツオンザグラウンド」発言、憲法改悪容喙発言もあり、また日本の大企業の多国籍企業化もあり、一気に自衛隊の海外武力行使容認に動いてきたのでした。その先尖兵が侵略戦争を正当化する安倍派なのです。
6.そこで持ち出してきたのが、憲法の条文を使った言葉遊びによって集団的自衛権行使の容認を強行することで、9条を空洞化し、9条をそのままにしながら、実質的に自衛隊を海外に派兵させようとする戦法に出てきたのでした。閣議決定方式が象徴しています。
7.その際の議論に使ったのが、「歯止め」論です。閣議決定の「撤回」論は少数派にして、現実追随派を多数派にすることでした。事実、今回の法案の骨格や自衛隊法の『改正」を視れば、明らかです。そこでも、欠落しているのは、憲法9条を「使う、活かす」論です。以下観てみます。
8.新三要件の第一番目の「わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」論です。
(1)「わが国に対する武力攻撃が発生したこと」とあるが、その前にやることはないのか。
(2)「またはわが国と密接な関係にある他国」とは、どこまでの国か。何を持って「密接」というか。
(3)「他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ」るとはどのような「事態」か、その前にやることはないのか。
(4)「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」「根底から覆される」とはどのような事態か、それまで何もしないのか。更に言えば「明白な危険」とは何か。そこまで手を打たない政権とは政権の体をなしていないのではないのか、全く不問です。
9.新三要件の二番目の「これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」論です。
(1)「これ」とは、①「わが国に対する武力攻撃」、②「他国に対する武力攻撃」のことです。
(2)「これを排除」するために「他に適当な手段がない」というのです。
(3)最初から「軍事的手段優先」論しか、まさに「この道しかない」ということ言っているのです。
(4)ここには憲法9条の「対話と交流」=非軍事的手段=平和的手段は想定されていないのです。
(5)安倍政権の9条黙殺・否定の思想と思考回路しかないこと、平和的手段へ無策を自ら表明しているのです。
以上述べてきましたが、安倍政権の妄想・妄言を暴き、このようなデタラメ政権に何としてもレッドカードを突きつけていかなければなりません。そのためには、安倍派の主張の矛盾を一つひとつ突きつけていくこと、安倍派が唱えている「危機」論に基づく「脅威」論と「軍事抑止力」論に対置した「非軍事的手段」」を使った「非軍事抑止力」論を明らかにしていくことです。それは憲法9条を使った「対話と交流」による国際紛争の解決の方策を明らかにすることです。このことで国民的合意を形成することです。
もう一つは、安倍派がしきりに強調している「国民の命と安全・財産を切れ目なく守る」論のご都合主義ぶりを暴いていくことです。
更に言えば、新三要件の「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」は、今や国内に蔓延していること、こちらには全く無関心であることを暴いていくことです。
以上の点についても、憲法を活かす政権によって解決していくことを国民的議論を巻き起こして安倍政権打倒とリンクしていくことです。