日本国憲法と歴史の教訓を曖昧にした立場で
「議論を奨励」論・「リスク」論・「歯止め」論吹聴は
安倍政権を利するのみ!
まず、愛媛新聞と琉球新報の立場に、大アッパレを!
愛媛新聞 安保法制閣議決定/「平和のために」 まやかしだ 2015/5/15 18:06
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201505155434.html
政府は自衛隊活動を飛躍的に拡大する新たな安全保障関連法案を閣議決定した。国民に諮ることなく憲法の解釈を変えて集団的自衛権行使を容認し、米国と軍事協力を約束した上で、実行のための法案を政権与党で決めた。国民無視を重ねての暴走は許されない。閣議決定撤回を求める。
法案は自衛隊法、武力攻撃事態法など、改正10法案を一括した「平和安全法制整備法案」と、国際紛争に対処する他国軍の後方支援を随時可能とする新法「国際平和支援法案」の2本。
法案に「平和」の名を掲げ正当性を殊更強調する。しかし、内容は時の政権の判断次第で、日本が攻撃されていなくても、世界どこにでもいつでも自衛隊を派遣して軍事支援できるようにするものだ。
自民、公明両党は歯止め策は講じたと胸を張る。だが、集団的自衛権行使を可能にする要件は曖昧で、法案はどのようにでも解釈できる。絶対多数の政権下では国会承認すら簡単に実現し、形骸化される。そもそも歯止めなどないに等しい。
政府は軍事力を増す中国などを念頭に、自衛隊活動の拡大や日米同盟の強化を主張する。閣議決定後の会見でも安倍晋三首相は「国民の命と暮らしを守るため」の法整備だと繰り返し、米国の戦争に巻き込まれることは「絶対にあり得ない」と言い切った。しかし、軍拡の連鎖は目に見えている。財政難で援助を期待する米国に追従し、国民や膨大な軍事費を差し出しても、守ってもらえる保証もない。
いま日本に問われているのは、アジアや世界の秩序を保つためにどのような外交ビジョンを描き、政治努力を重ねるのかという国家像だ。真に平和を目指すなら、中国をはじめ各国と対話を重ね、軍事でなく経済や政治の力によって連携を強め、安定をはかるべきである。
確固たる平和への理念と展望を持ち、人道主義にのっとって世界のリーダーシップをとる。それこそが成熟した民主国家の在りようだ。
戦後70年。憲法9条下、自衛隊は戦争のために一人も殺さず、殺されもしなかった。世界に誇るべき平和主義をやすやすと捨て去って、安心の未来が来るとは思えない。
これから始まる国会審議では、法案の文言の細部にとらわれ本質を見失わぬよう、民主国家の根幹に立ち返り、平和への真の貢献の仕方を論じなければならない。まだ間に合う。誤った過去への逆戻りは断じて認められない。
「平和のため」に憲法の平和主義を覆して軍事支援を認める。そんなまやかしは通用しない。戦争の悲劇は「平和のため」自国の正義を押し通すことから始まると、歴史が証明している。(引用ここまで)
琉球新報 安保法制国会提出/どこに歯止めがあるか 危険な法案は廃案にせよ 2015/5/16 6:06
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242996-storytopic-11.html
憲法の規定を下位にある法律で改変する。各種世論調査でおしなべて反対が賛成を上回るのに、委細構わず突き進む。およそ立憲主義、法治国家、民主主義と程遠い光景がこの国で進行している。
政府が新たな安全保障法制を閣議決定し、国会に提出した。提出が復帰記念日の5月15日なのが象徴的だ。われわれが帰ろうと切望した「祖国」はこんな国だったのか。ある種の感慨を禁じ得ない。
会見で安倍晋三首相は、戦争に巻き込まれるとの批判は「的外れ」だと繰り返した。だが的外れどころか正鵠(せいこく)を射た批判だ。危険な法案を成立させてはならない。
「平和」の欺瞞
閣議決定したのは「平和安全法制整備法案」と「国際平和支援法案」だ。いずれも「平和」の文字を入れたが、国民向けの姑息(こそく)な印象操作だ。首相が「軍隊」と呼ぶ自衛隊を地球の反対側にも出し、戦争当時国に武器も燃料も補給できるようにするのだ。これを「平和」と呼ぶのは欺瞞(ぎまん)だ。
そもそも自衛隊法など10本の法改正案を束ねて一つの「平和安全法制整備法案」としたのがおかしい。国会審議を早々と終える狙いがあるのは明らかだ。「相互に密接に関連するから」と政府は説明するが、なぜ一括でなければならないか、個別ではなぜ駄目なのか、まるで説明になっていない。
政府与党は一括で80時間程度の審議を想定しているという。だが10本の法案はそれぞれ「専守防衛」の国是に風穴を開けるほどの内容だ。従来ならそれぞれ優に100時間は超える。今回は、単純計算で言えばそれぞれをたった8時間程度で通過させようという考えなのである。
安倍首相は成立どころか国会提出より前に米国議会で演説し、今夏での法案成立を約束してきた。これほど極端な国会軽視は見たことがない。これで成立を許すなら国会は存在意義すら疑われよう。
首相は「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」と強調した。だが米国は、財政難による軍事費削減の要請から、米国の戦争の肩代わりを日本に求めている。オバマ大統領が日米首脳会談で「日本は地球規模のパートナー」と述べたのはその肩代わりを意味する。
ではその米国の要請を断れるのか。従来は「憲法の制約でできない」と言えたが、その制約がなくなるのだ。日本は戦後70年、ただの一度も米国の戦争に反対したためしがない。ベトナム戦争しかり、イラク戦争しかりである。その日本が突然反対できるようになるなど、信じられるわけがない。
ご都合主義的解釈
安倍首相が辺野古新基地建設に遮二無二突き進むのは、尖閣をめぐる日中衝突に米国を引き込むため、質草として沖縄を差し出すという意味があるように見える。日中衝突には巻き込むつもりなのに、米国の戦争には巻き込まれないというのは都合が良すぎないか。ご都合主義と呼ぶほかない。
首相は武力行使の新3要件を持ち出して「厳格な歯止め」を強調した。だが機雷でホルムズ海峡をタンカーが通れないことも「日本の存立が脅かされる明白な危険」に含むという。中東でもイラン以外の国から直接原油を運べ、ロシアや北米からも輸入できるのに、である。これも「存立の危機」なら政府解釈はまさに万能だ。どこに「歯止め」があるというのか。
首相は自衛隊機のスクランブル発進の増加や北朝鮮のミサイルを持ち出し、不安をあおった。だから集団的自衛権行使が必要だという空気を醸成しようとするのだが、スクランブルもミサイルも全て個別的自衛権で対処する事案である。非論理的ではないか。
米国が中東で戦争をした結果、「イスラム国」が生まれたように、軍事力の行使はかえって世界の危険を助長する。非軍事的貢献こそが国際的な安全保障につながるという事実を、むしろ日本は積極的に発信すべきなのである。(引用ここまで)