またまた知的劣化の進行を披露した「産経主張」の
デタラメ・スリカエ・ゴマカシ・大ウソ浮き彫りに!
日の丸・君が代の意味とは何か!語らない・語れない!
日の丸・君が代の歴史を語らない・語れない!
日の丸・君が代がどのような役割を果たしてきたか!
いっさい語らない!語れない!
にもかかわらず
「常識」「敬意」「自然」論でしか語れない!語らない!
歴史も学問の成果も否定する産経の知的退廃浮き彫り!
国旗国歌/敬意払うのが自然な姿だ
産經新聞/2015/6/25 6:00
http://www.sankei.com/column/newslist/../../column/news/150625/clm1506250002-n1.html
国旗、国歌はその国の象徴として大切にされ、互いに尊重するのが国際常識だ。ましてや国民が自国の旗などに敬意を払うのは自然な姿だ。
誰が「象徴」として決めたのか!いっさい不問です。戦前は天皇主権、戦後は国民主権の「象徴」として、二つの歴史を振り返ってみることが必要です。しかし、産経には、そのような思考回路は微塵もありません。
「日の丸・君が代」は、戦後一時期、「軍国主義の象徴」として「禁止」されました。それはポツダム宣言を受け入れからです。そのポツダム宣言を受け入れた結果、現人神であった天皇は「人間宣言」を行いました。教育勅語は国会で失効決議があがりました。
しかし、日本国憲法を押し付けた張本人として、産経の大嫌いなマッカーサーが、「日の丸・君が代」は禁止の解除を行い、その復活を許可。突如、「軍国主義の象徴」が復活しました。
それは、ポツダム宣言を受け入れ、侵略戦争の反省の上に制定された日本国憲法下において、でした。しかし、それは国民が決めたことではありませんでした。
その後自民党政権は、「日の丸・君が代」の浸透を図るために、NHKやオリンピックやスポーツを通して、その既成事実化を謀り、教育現場において強権を発動して、国民の中に「認知」させ、その結果として、今日の「事態」を創りだしました。
ところが、ポツダム宣言を受け入れた天皇制政府によって、また新しい議会によって制定された日本国憲法は、GHQによって「押し付けられた」などと言って、その「改正」を叫び、そのために国家の最高法規である日本国憲法を形骸化する既成事実をつくってきました。その結果が、今日の「事態」を創りだしているのです。
ここにゴマカシがあります。国民不在の歴史をいっさいスリカエています。大ウソが散りばめられています。
万歩譲って、国旗・国歌は日本の象徴として認めるのであれば、国民不在と立憲主義を否定する安全保障法案等を提案する政権、それに基づく国家に敬意を払い、そのような国家は尊重する対象でないことは明らかです。同時に、そのような国家の象徴である国旗国歌に敬意を払うのは自然な姿などということができないことも、また明白です。
侵略戦争を正当化する安倍首相や産経が、侵略戦争の、軍国主義の象徴である日の丸君が代に対して尊敬するのは勝手ですが、それはポツダム宣言にも違反し、それに基づいて制定された日本国憲法にも違反することは明白です。このような歴史の事実を踏まえれば、国旗・国歌を云々する資格などあるはずもありません。
本来であれば、以下のように書かなければなりません!産経の頭はオカシイ!
国家の最高法規である日本国憲法はその国の象徴として大切にされ、互いに尊重するのが国際常識だ。ましてや国民が自国の憲法に敬意を払うのは自然な姿だ。ましてや憲法第99条に憲法尊重擁護の義務が明記されているのだ!明らかに安倍・産経派は憲法違反を行っているのだ。これは国際公約に違反する世界の非常識だ。
下村博文文部科学相が、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を適切に行うよう学長会議で要請した。妨げる方がおかしい。学長らは国旗、国歌の重要性を認識し、正常化を進めてほしい。文科省によると、国立大86校のうち今春の卒業式で国旗を掲揚したのは74校、国歌斉唱は14校にとどまっている。東大、京大のように国旗掲揚、国歌斉唱とも行っていない大学が10以上ある。下村文科相は要請にあたって「各国立大の自主的な判断に委ねられている」と配慮したうえで、「大学の自治や学問の自由に抵触するようなことは全くない」と述べた。その通りである。国旗と国歌の適切な取り扱いは、大臣がわざわざ要請する以前に、各大学の学長の判断で行うべきことだ。できないのは一部教職員らの反対を恐れるからだ。
「各国立大の自主的な判断に委ねられている」「大学の自治や学問の自由に抵触するようなことは全くない」というのであれば、「適切に行うよう」「正常化を進めてほしい」「適切な取り扱いは」「妨げる方がおかしい」とするのは、全くオカシイと言わなければなりません。
まして、「できないのは一部教職員らの反対を恐れるからだ」などという戦前の「非国民」「国賊」のトンデモナイ低次元のレベル、上から目線、権力の横暴、本末・主客転倒です。こうした脅しに対して、国民的反撃を展開する必要があります。軽視することはできません!倍返しが必要です!
これは下村文部科学相が、大学の「自治」「学問・思想信条の自由」を「妨げるのはおかしい」ということにならなければなりません。国家の最高法規である日本国憲法を活かす!ために「正常化を進めてほしい」のは安倍政権です。歴史を偽装・偽造する産経こそ、「正常」な新聞となるように創生すべきです。
スポーツの国際大会で選手、観客とも対戦相手の国旗、国歌を含め敬意を払う態度は自然であり、国旗、国歌に背を向ければ非難される。ところが日本の教育現場では小中高校などの入学、卒業式で国歌斉唱であえて起立せず、国旗掲揚や国歌斉唱を「強制」などと批判する教師らが相変わらずいる。大学での反発が強いことは予想されたことではある。しかし国際的な常識や儀礼を否定してまで、特定の政治的主張を押し通そうとすることこそ、学問の自由などをゆがめるものではないのか。
「スポーツの国際大会」における「ルール」の話と、日本国憲法という国家の最高法規=ルールの下における「日本の教育現場」の話を意図的にごちゃ混ぜにしています。この両者の区別と関連の中で捉えるのではなく、一緒くたにして論じることで、教育現場における「強制」を正当化しています。ここに産経の大ウソ・デタラメ・ゴマカシ・スリカエが浮き彫りになります。
国家の最高法規である憲法という「ルール」を遵守できない、しない産経が、スポーツの「ルール」を云々する資格などあり得ません。そもそも、スポーツこそ、民主主義の象徴、平和の象徴だからです。それは、紛争を暴力・脅しで解決するのではなく、対等平等の敬意を払う態度で解決するということを前提にしているからです。
だからこそ、対戦相手を貶めたり、意図的に対戦相手を脅す、脅威する、威嚇を煽ったりなどということは、極めて問題、ルール違反なのです。だからこそ、スポーツに政治を持ち込むな!互いに尊敬の念をもってフェアーにたたかおう!となるのです。これこそ、「自然」な発露なのです。
こうした考え方は、「ルール」において、対等平等のスポーツにおいては、極めて自然なことなのです。スポーツを通して、平和を希求する。スポーツを通して互いを理解し合う、これこそ、コミュニケーションの本質、対話と交流の本質を示しているのです。
だからこそ、国際紛争を解決する手段として、国家による戦争、武力行使、武力による威嚇を永久に放棄した日本国憲法に明記されている自由・人権と民主主義は、スポーツにおける「ルール」、すなわち「法の支配」と同じなのです。
このことを、産経は全く判っていません!戦前侵略戦争と軍国主義の象徴であった日の丸≒国旗、君が代≒国歌を強制したいがために、そのためにだけに、スポーツにおける「ルール」を捻じ曲げ、利用しているのです。まさに不埒・不道徳と言わなければなりません!
学長のなかには、要請を機会に学内で検討する動きもあるようだ。国旗、国歌を尊重する常識が通らない旧態依然の大学の意識が変わる契機としてもらいたい。
「日の丸・君が代」を踏絵にする産経特有の悪罵と言えます!学問研究・教育研究に携わる人間に対する最大の侮辱と冒涜が、ここに込められています!大学人の反撃を期待します!
東京都教育委員会は中学や高校のスポーツの地区大会などでも国旗掲揚、国歌斉唱を行うことを検討するという。2020年東京五輪に向け、諸外国の人々と交流の機会が増えることから国旗、国歌を尊重する態度を養う一環だ。
日本の歴史において、もともとは、「君が代」は長寿を祝う賀の歌であり、「日の丸」は五穀豊穣を祈願する太陽信仰の象徴として、どちらも「命の大切」を「象徴」するものだったのです。しかし、明治以降、侵略戦争と軍国主義の「象徴」として、殺人と略奪の「象徴」として、天皇制を護持するための「象徴」「装置」として変質させた歴史を今一度確認する必要があります。
また、東京都知事であった石原氏や猪瀬氏自身が、日の丸や君が代の意味などについては、全く問題にしていないこと、単に「上司の命令」に従う装置として、国旗国歌を利用していることは、彼らの発言から浮き彫りです。彼らこそ、「非常識」の権化であることを、東京都教育委員会は反省すべきです。教育を語る資格もありません!あるのは、国民を暴騰するという汚名だけです。
しかも、「日の丸・君が代」は、戦前の天皇制政府でさえも、日本の国旗・国歌としては正式に成立させてはいなかったのです。にもかかわらず、戦後、既成事実化を利用して国旗・国歌法を強行可決したのです。その際には強制はしないという内閣の「公約」まで示したのでした。とても「常識」「自然」などというような言葉を使って、また「一部教職員らの反対」などと、脅すようなことは戒めてはじめて「成立」させたのでした。
しかし、産経のように、また安倍自公政権のように、歴史の偽装・偽造と修正を謀り、国民の多数を獲得する手口を成功させることはできません!そのためにも、彼らの大ウソ・トリックを徹底的に暴いていかなければなりません!判断するのは国民です。
海外から多くの留学生を受け入れる国立大の節目の式で国旗掲揚、国歌斉唱を行わない大学がある現状は恥ずかしい。さまざまな機会を捉え国旗、国歌を大切にしたい。(引用ここまで)
以上を踏まえると「恥ずかしい」のは産経であり安倍首相とその一派です。さまざまな機会を捉えて産経のデマゴギーイデオロギーを暴いて、憲法を活かす政権の樹立をめざしていきたいものです。
このたたかいは、日本の歴史に対する冒涜、民衆の苦難と自由・人権・民主主義を求める戦いに対する無知と無恥、不道徳との闘いです。日本列島に住む名もなき人たちの暮らしをより良くしたいという願いに逆行する、黙殺する産経や安倍首相とその一派を、政権の座から退場させる!そのためにも憲法を活かす!を最大目標に、「錦の御旗」にしていかなければなりません!幕末の、いわゆる「逆賊」は、誰か!明確だからです。