混迷に陥っている日本の新聞を象徴する社説、ここにあり!
話し合うことは当たり前!
だが、まともな話し合いを拒む安倍政権に何を求めるか!
そもそもまともな議論ができていないことこそ、問題だ!
まともな議論は「そもそも憲法9条とは何か」論だろう!
「本質的な部分」に
「学者がレッドカードを突きつけたことになる」と
いうのであれば
そのような法案を提案した内閣に
「レッドカードを突きつけ」ないのか!
何故、新聞は混迷するか!それは「主権者たる国民の根強い懸念」が何なのか、ハッキリさせていないからです。それは国民の命と財産、平和的生存権と幸福追求権が、日々の政治によって曖昧にされ、危機に陥っていることを、憲法に照らして解明をしていない、怠ってきたからです。憲法9条とは何か、その9条を国家の根本思想として、それを具体化する政治こそ、「国民の根強い期待・願望」であることを曖昧にしてきたことが最大の問題なのです。
それは何故か、それは、以下の言葉に象徴的に示されています。
(1)「前提となった集団的自衛権の行使容認が合憲か否かという問題があらためて焦点となっている」論です。この「あらためて焦点となっている」論そのものに新聞の怠慢があります。安倍首相に「木を視て森を視ず」と言われてしまう実態があります。人権思想を土台にしている現行憲法(森)と、それに基づく各条文(木)とその言葉の重みを軽視し、形骸化させてきた自民党政権に厳しい批判を怠ってきたことを裏付けています。
(2)そのことは、「ぎりぎりのところで合憲性を保ってきた」論に示されているように、憲法9条の違憲解釈を「原点」に立ち返って批判することなく、ズルズルと既成事実化を放置してきたことです。
(3)同時に、「『議論がぐるぐる回ってきている』と述べたと言うが、それは集団的自衛権の行使の是非という大前提が決着していないからだ。いま一度、根本に立ち返った議論が必要だ」論にも、示されています。安倍首相のこの「ぐるぐる」論については、記事で批判しました。「ぐるぐる回って」いるのは、安倍首相の頭であり発言であり言葉です。それは、憲法改悪のためにだけに向かって、その場しのぎと場当たりの対応をして、自らの発言の不当性を正当化しているからです。「いま一度、根本に立ち返った議論が必要だ」論に視るように、安倍首相に対して憲法という『根本』を軽視してきたからです。閣議決定撤回ではなく「歯止め」論の土俵で「議論」をしようとしてきたからです。
(4)更に言えば、安倍首相の「強弁姿勢の政権体質』を徹底して批判してこなかったことです。
(5)そもそも「緊張感を増す国際情勢に即応する安保体制が必要というなら『憲法の枠内に収まっている』ことを憲法学者にも納得させる必要がある」というのではなく、自らが検証すべきなのです。憲法9条を使った外交政策を提起すべきなのです。しかし、このことは不問なのです。ここに、安倍政権が集団的自衛権行使と自衛隊の海外派兵と武力行使を正当化、口実とする「緊張感を増す国際情勢に即応する安保体制が必要」論に対して明確に反対できない立場が浮き彫りになるのです。
(6)だから、「政府による憲法解釈の裁量の範囲内」と述べた中谷防衛相発言に対しては、これまでの政府解釈に「正面から答えていない、こんな強弁を続けるならば大森氏の指摘通り、国民の信頼を失うことになるだろう」としか言えないのです。このことが、戦後ソ連脅威論に対抗するために編み出した「専守防衛論に追随してきたことと同じ延長線上に位置していることを、改めて浮き彫りにしました。
新聞が憲法9条の原点、それを具体化することを宣言したポツダム宣言の原点に立ち返ってこなかったことに、最大の問題があります。時々の「情勢」に「場当たり」「その場しのぎ」で対応して憲法改悪のための既成事実化を容認してきたツケが、ここにきて、一気に噴出してきているのです。
しかし、新聞など、現代日本の「思潮」=イデオロギー状況は、このことをスルーしているのです。どこに留まっているか!。それは「専守防衛」論です。この「専守防衛」論そのものが、そもそもボタンの掛け違いなのですが、そのことについては、「あらためて焦点」化させることなく、「いま一度、根本に立ち返った議論が必要だ」とはならないのです。ここに「緊張感を増す国際情勢に即応する安保体制が必要だ」などと言われてしまうと、返す言葉も、政策も想定できない、提案できない、思考停止に陥って「混迷」してしまう最大の要因があります。
「脅威」論に対抗する「軍事抑止力」論による日本全国思考停止「事態」がここにあります!
茨城新聞 安保法制/根本に立ち返り議論を 2015/6/7 6:05
http://ibarakinews.jp/hp/hpdetail.php?elem=ronsetu&
山陰中央新報 安保法制/いま一度、根本の議論を 2015/6/7 12:07
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=552798033
自衛隊の海外での活動を飛躍的に拡大させる安全保障関連法案をめぐり、前提となった集団的自衛権の行使容認が合憲か否かという問題があらためて焦点となっている。
衆院憲法審査会で自民、公明両党推薦の長谷部恭男早稲田大教授ら参考人の憲法学者3人がそろって「憲法違反」と表明したことがきっかけだ。
憲法上、長らく禁じてきた集団的自衛権の行使の容認をめぐっては過去に「憲法改正が必要」との内閣法制局の答弁もある。第1次安倍内閣時に、限定容認できないかと安倍晋三首相から打診されて断った宮崎礼壹元内閣法制局長官ら歴代の長官経験者も解釈変更による行使容認に反対している。
中谷元防衛相ら政府側は「合憲」と強く反論しているが、関連法案に反対や慎重意見が多い各種世論調査の結果を見れば国民の受け止めは長谷部氏や宮崎氏らの見解に近いのだろう。
安倍首相は法案審議について「議論がぐるぐる回ってきている」と述べたと言うが、それは集団的自衛権の行使の是非という大前提が決着していないからだ。いま一度、根本に立ち返った議論が必要だ。
憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を認めることができるかについては1983年2月の衆院予算委員会で角田礼次郎内閣法制局長官が「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然取らざるを得ない」と明確な答弁を行っている。さらに96年2月の衆院予算委員会では大森政輔内閣法制局長官が「政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させ、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なう恐れもある、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点から見ても問題がある」とまで述べている。
まるで現状を予見、くぎを刺したような答弁だ。このような経緯もあり2006年から10年まで務めた宮崎氏はじめ歴代の内閣法制局長官が声を上げている。宮崎氏のほか、阪田雅裕(04〜06年)、秋山収(02〜04年)、大森(96〜99年)、工藤敦夫(89〜92年)の各氏が反対論をメディアなどで表明している。「憲法の番人」を自任し、表舞台には登場しない長官経験者が、政治問題に対してこれほど意見表明するのは極めて異例だ。
今月4日の衆院憲法審査会で、長谷部氏は「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない。法的な安定性を大きく揺るがす」と指摘、民主党推薦の小林節慶応大名誉教授も「多数決で法案を承認したら、国会が憲法を軽視し、立憲主義に反することになる」と明言した。一方、維新の党推薦の笹田栄司早大教授は「内閣法制局は自民党政権と共に安保法制をずっとつくってきて、ぎりぎりのところで保っていると考えていた。今回は踏み越えてしまっている」と批判した。
中谷氏は5日の国会で「政府による憲法解釈の裁量の範囲内」と述べたが、正面から答えていない。こんな強弁を続けるならば大森氏の指摘通り、国民の信頼を失うことになるだろう。(引用ここまで)
福井新聞 揺らぐ安保法制/原点に立ち戻って見直せ 2015/6/6 8:05
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/72569.html
政府、自民党には予想外の展開だっただろう。衆院憲法審査会に招いた憲法学者3人全員が、集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案を「憲法違反」と断じた。とりわけ自民、公明両党と次世代の党が推薦した長谷部恭男・早大教授が明確に断定したことは、解釈改憲で強引に進めようとする安倍政権の論理体系を根底で否定するもの。原点に立ち戻って真摯(しんし)に議論し直すべきではないか。
菅義偉官房長官は会見で「法的安定性や論理的整合性は確保されている。違憲との指摘は全くあたらない」と反論した。長谷部氏は自民党が当初予定していた参考人ではなかったようだが、そんなことは言い訳にもならない。さらに「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べたことに違和感がある。国会における憲法審査会の位置付けを否定するような発言だ。
安保法案論議で焦点になっているのは集団的自衛権が「限定的」という枠を超えて拡大していく懸念と自衛隊の安全性のリスク。だが憲法審査会での質疑であぶり出されたのは、法制の立脚点の危うさである。
学者3人は立場も考え方も異なる。例えば民主党推薦の小林節・慶大名誉教授は改憲派の代表格。同氏は「憲法9条2項で、日本には海外で軍事活動する法的資格を与えられていない」として「露骨な戦争参加法案だ」とまで言い切った。改憲に積極的な維新の党が推薦した笹田栄司・早大教授も「自民党政権と内閣法制局がつくってきた安保法制はぎりぎりのところで合憲性を保ってきた。今回は(その定義を)踏み越えてしまった」と強調した。一方の長谷部氏は憲法改正に慎重な立場だが、集団的自衛権行使を認める法案を「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない。法的な安定性を大きく揺るがす」と厳しく論じた。
こうした参考人の指摘は昨年7月の閣議決定時に国民の関心を集めた論点だった。菅官房長官は既に閣議決定していることを成果として強調したが、1強多弱の政治力学で押し切ったものだ。この本質的な部分に学者がレッドカードを突きつけたことになる。「9条違反」として安保法案の廃案を求める憲法学者グループは「法案策定までの手続きが立憲主義、国民主権、議会制民主主義に反する」と批判している。
集団的自衛権の行使容認をめぐっては1983年2月の衆院予算委で角田礼次郎・内閣法制局長官が「憲法改正の必要がある」と答弁。歴代長官経験者も同様の見解を示している。
安保政策の歴史的転換点に立つ議論だ。緊張感を増す国際情勢に即応する安保体制が必要というなら「憲法の枠内に収まっている」ことを憲法学者にも納得させる必要がある。強弁姿勢の政権体質では、8割以上が「十分に説明しているとは思わない」(共同通信社世論調査)とする、主権者たる国民の根強い懸念にも答えることができない。(引用ここまで)