迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

あらひとがみのすがお。

2016-12-17 22:32:19 | 浮世見聞記
横浜開港資料館の「明治天皇、横濱へ―宮内庁文書が語る地域史―」展を見る。


明治天皇と横浜との関わりを、現存する公文書や古写真を通して紹介した企画展だが、それらのカタイ文書からでは到底窺ひ知れぬ明治天皇の“生の姿”を写した一枚に、わたしは強い興味を覚える。



これは展示図録からの転写だが、説明文によると、明治4年(1871年)11月21日から23日にかけて横須賀の造船所に行幸した天皇一行を、スチルフリードといふオーストリア人写真家が、無断で撮影したものだと云ふ。

つまり、“盗撮”といふことだらうか。

白い衣冠姿の人物が、明治天皇。

そのまわりには、地面にしゃがみこむ従者たち。

まさか写真に撮られてゐるなどと夢にも思わぬ一行は、だいぶくつろひだ雰囲気だ。

たぶん、休憩中のところを撮ったのだらう。

ちなみにこれが、今のところ明治天皇を撮った最初の写真とされてゐる。

それにしても、この古写真から見る明治天皇の姿は、現在公式に伝わってゐる宸影とは、



だいぶ雰囲気が異なっていて、戸惑ひすら覚える。


かつて慶応3年(1867年)、「王政復古の大号令」後の小御所会議で山内容堂が、

「幼冲の天子」

と口走ったことは有名だが、この姿を見るかぎり、その気持ちもわからなくはない。



しかしわたしは、一部の歴史マニアどもが唱へる“明治天皇替え玉説”などといった下衆ならでは勘繰りなど、歯牙にもかけぬ。




しょせん、

「明治大帝」だの

「軍人の神」だの、

さうした天皇像は、異国かぶれの取り巻きたちが仕立て上げた、虚像にすぎないのだ……。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« こころめぐらすはやしかな。 | トップ | しんぶんはなにをつたへるか。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。