ラジオ放送で、觀世流の「楊貴妃」を聴く。
故人となった楊貴妃へ戀慕の情なおやまぬ玄宗皇帝の意を受けた方士は自ら假死して魂となり、冥界の楊貴妃を探し當てると玄宗皇帝との“思ひ出”を手渡される──
故人が現世に現はれて、旅僧などに故事来歴謂はれ因縁を語って聞かせるのは完成された猿樂の定番だが、現世の者が黄泉へ向かふ逆の形をとる曲は珍しく、“変はり者”扱ひされてゐる金春禪竹の面目躍如たる作と云へるか。
その子孫による流派の會でこの曲を一度觀てゐることは記憶してゐるが、どのやうな演能であったかまでは記憶にない。
曲趣としては面白いが、實際に舞臺へのせると、御簾に見立てた鬘帯をたくさん垂らした“蓬莱宮”の作り物が視覺的な印象を残すばかりで、型自体は“鬘物”の範を出るものではないからかもしれない。
今回の觀世流による素謠を聴いてゐても、觀てゐるより謠ひ舞ってゐたはうが樂しい曲に感じる。
そこへ見物も惹き込めるかだうかは演者の魅力(うで)次第、かうした技術だけではだうにもならない曲を、難曲と云ふ。