朝のラジオ番組で、またしても窓の外の不穏な盤渉と共に、謠曲を聴く。
今回は故人片山幽雪の録音から、「盛久」と「砧」の一部が放送された。
舞台は學生の頃に映像で見たことがあるきりで、その後大阪に住んだ時代でも、あれだけ京都を散策して遊んだにも拘ず“京觀世”は全く経路に入ってゐなかった。
しかしそれを後悔に思ふことは現在もなく、幽雪氏の没後に忘人による氏の評論文で、「二十四世觀世宗家を出した家の人と云ふことで優遇されてゐたにすぎず、能樂師としては平凡だった」と喝破してゐるのを見て──いまその一文は見られなくなってゐるらしい──、自分が映像で目にした時の印象はさほどハズレではなかったと思ったものだった。
「盛久」は鎌倉方に捕らへられた平家方の武将盛久が、鎌倉由比ヶ浜で斬首される寸前に觀世音菩薩の功力で助かると云ふ筋で、曲中に誦される觀音経の一部、
『或遭王難苦 臨刑欲壽終 念彼觀音力 刀尋段段壊』
(権力者によって命を奪はれさうになっても、觀音の力によってその刀は粉々に壊れるだらう)──
が、そのまま舞台で再現される、視覺的にはわかりやすい能。
今回は鎌倉へ護送される“海道下り”と、鎌倉での幽閉中に件の觀音経を誦する件りのみの放送で、實際の舞台は寶生流で一度観た記憶があるが、むしろ今は昔、仕舞でこの曲を稽古してゐた本職は内装業者らしい素人男性との絡みで、印象に残ってゐる。
その内装業者は、だうも私が何もせずにフワフワと日々を過ごしてゐるやうにでも映ったらしく、大して面識もない間柄にも拘はらず、ある時いきなり面と向かって難じてきたことがある。
おたくなんかに言はれる筋合ひはない、である。
私にとって収入とは、生きて行くのに困らない分だけあれば結構であり、そのための手立てなど、なにも組織から首に縄を掛けられてグイグイ締め付けられた挙げ句に薄給を渡されること以外に、いくらでもあるのだ。
私の利益は私のもので、誰が組織になんかにくれてやるものか!──
私には共演者など必要ない。
その代はりに、信じてゐるものが一つでもあれば、それだけで人生は豊かになれる。
「盛久」の仕舞も、さうしたひとつのことを信じる喜びを表現したものだ。
あの内装業者のごとく、舞台の定位置からどんどん外れて、舞ってゐるのか、ただ舞台をウロウロしてゐるだけなのかわからない体たらくでは……、おっと、たかがお素人サンのやることだ。
ばからしい。
「砧」は空閨をかこつ女の悲哀劇、世阿彌と云ふいかにも不幸だったらしい人の力作。
今回は前場のクセのみの放送だが、同じく觀世流功労者として“雪号”を許されたほかの能樂師の、その人は私が観てさへ名手と感じた華やかさに比べ、こちらの“雪”は耳で聴ひてさへ小さくまとまってゐると感じたその印象は、ハズレてゐないと確信す。