埼玉縣さいたま市北區のさいたま市立漫画會館にて、「時事漫画100年」展を観る。
明治九年(1876年)、旧中山道大宮宿の脇本陣をつとめた北澤家の四男として東京に生まれ、幼少期から得意だった繪の道に進んで日本初の職業(プロ)漫画家となった北澤樂天が晩年を過ごした旧宅跡に建つ記念館に、近代化へと邁進する大日本帝國の世相を風刺した漫画が、ちゃうど繪で見る年表のやうに並ぶ。
しかし、かうした時事漫画はその時その時の世相に密着したものであるがゆゑに、時間が経ってその歴史が忘れ去られるとその漫画の持つ“味”も併せて薄れ、意味が通じにくくなるのは、際物の宿命であり致し方ない。
それでも、社會のその時その瞬間を直感でどふ捉へたのかを知る意味におゐては、一作品ごとの瑞々しい感覺は現在なお健在だ。
北澤樂天が弟子たちに傅へたと云ふ「漫画の使命」として、
「漫画で風刺するのは、百編の文章より千万語の言語より力がある」
は、まさに漫画の本質を衝いた名言である。
そのあとは漫画會館から徒歩で十分ほどの埼玉縣立歴史と民俗の博物館にて、「埼玉考古50選」展を観る。
埼玉縣内でこれまでに發掘、出土した考古資料から五十點を厳選した特別展だが、私の目當てはただひとつ、川口市内で出土した中世の“侍烏帽子”にあり。
(※フラッシュ無しで撮影可)
手猿樂師として自作の烏帽子を載せて舞台に立つことがある関係上、どふしても人類の大先輩が用ゐてゐた“ほんもの”を、この目で見ておきたかったのである。
そのすぐ後ろには、加須市から出土した上杉勢の誰かが被ってゐたと推測される鉄兜、
さらに先へ進むと、旧日光道中の栗橋番所に詰めてゐた武士の住居跡から出土した明治期のピストル玩具「キャップガン」なども見られて、
今回の埼玉縣へのお出かけを、より充實したものにしてくれた。