春には櫻の名所として有象無象だらけになる、東京都目黒區の川。
しかし、少しの時間でも雨が強く降ると、たちまち濁ってひどい臭氣を放つ。
區内で生まれ育ったと云ふ或る人が、「あんなの、ただのドブ川だ」と云ったのがよくわかるほどの惡臭。
あまりの臭ひにつひ冩真に撮ったはものの、宿命としてそのにほひまでは冩し出すことが出来ない。
いや、冩し出せるのだらうが、私には當然そんな技(うで)など無く、またさういふ作品にも出逢ったことがない。
──と、臭氣でこの噺を閉じてはツマラナイので、そこは優雅典雅なこの“浮世見聞記”らしく(?)、伽羅の香りで鼻直しをいたさばやと、存じ候。
中目黒驛から山手通りを五反田方面に歩くこと約五分、通り沿ひに山門を構へる「正覺寺」は、元和五年(1619年)に創建された日蓮宗の寺院なり。
創建後しばらくは困窮の時代が續ひたが、仙臺伊達家三代目綱宗の側室にして、四代目綱村の母であった三澤初子の帰依を受けてから寺運が開ける云々。
三澤初子は、いはゆる“伊達騒動”の最中にわずか二歳で伊達家當主となった我が子を守るため、香木の伽羅を彫った佛像を髷のなかに隠して日夜無事を祈願した云々。
境内にはその三澤初子の銅像があり、昭和九年の建立とある。
彼女は伊達騒動を芝居化した「伽羅先代萩」に登場する“乳人政岡”のモデルとされ、また件の銅像は戰前の名女形六代目尾上梅幸の舞台姿をモデルに製作された云々。
お互ひに手本を求めて循環してゐるのが面白い。
ちなみに外題の「伽羅(めいぼく)先代萩」とは、伊達綱宗が伽羅(きゃら)で誂えた下駄を履ひて吉原通ひをしたと云ふ巷説を利かしたものださうで、側室三澤初子の場合の佛像とは落差が大きい。
私は今は昔、伽羅の香りをきいた記憶があるが、体験を記憶してゐるだけで、にほひまでは記憶してゐない。
しょせん弱小庶民には縁の無い香木だからか。