迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

班女な今昔。

2021-12-12 11:14:00 | 浮世見聞記
ラジオ放送で、寶生流の「班女」を聴く。



美濃國野上宿の遊女花子は、東下りの途次に宿をとった吉田少将と相思相愛となり、再會の約束に互ひの扇を取り交はして別れたが、約束の期日に少将が現れなかったことから思慕のあまり扇いじりに心を奪はれるやうになり、挙げ句に宿を追ひ出され“班女”と呼ばれる狂女となって都を彷徨ふうち、帰京した男と再會する──

水道橋の能樂堂で、やはり寶生流でこの曲を観たとき、演者の唐織姿における扇を持った“構へ”に工夫のあることが印象に残り、その記憶がのちに我が手猿樂で唐織を着る曲を創った時にとても役立ったものだ。

やはり、舞台はいいものだけを観るに限る。

しかし、私が創ったその曲は、人災疫病禍ゆゑにいまだ披露の目途が立たず。



再會を果たすため訪ねて来た男を、「ちがうわ。あなたはそうじゃない。」と拒絶する三島由紀夫版「班女」(「近代能楽集」のうち)も今は昔、無名の演劇集團らしきが新宿あたりの小舞臺で上演したのを目にしたことはあるが、やはり昭和五十一年に國立劇場で坂東玉三郎が主演したものが、強烈な印象を残してゐる。

……と云っても、私が生まれる以前の公演なので實見はしておらず、のちに新潮社が舞臺録音を商品化した“新潮カセットブック”によって、「耳」で観たばかりである。

“おんながた”なのか“女優”なのかよく分からない、かうしたいろいろな意味で不世出な役者でなくては、このヒネリの効き過ぎた作品に太刀打ち出来ないことがよく解る、そんな録音資料である。



ちなみに花子が追い出された野上の宿は中世に實在した宿驛で、旧中山道の垂井宿~関ヶ原宿の間に、静かな佇まひの集落としていまも續ひてゐるのを、私はかつて旧中山道探訪で通って知ってゐる。









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