「あ、それで、近江さんにお渡ししたかったのって…」
実はこれなんです、と馬川朋美がバッグから取り出したのは、松岡映丘(まつおか えいきゅう) の作品集だった。
松岡映丘とは、明治末期から昭和初期にかけて大和絵の復興に尽力した画家で、日本の近代絵画史にも、もちろんその名を刻んでいる大家だ。
僕にとっては大先輩とも言えるこの偉大な画家の画集を、是非とも手に入れたいものと、出会って間もない頃に彼女に話したことがあった。
それを彼女は、ずっと覚えていてくれたのだろう。
でも…。
実はその後すぐに、デパートの大古書市で件の画集が五千円で出ているのを見つけて、既に入手済みなのだ…。
まさかそんなことを告白するわけにもいかないので、僕は精一杯驚いて見せなければならなかった。
「よく手に入れましたね。これはもう絶版になっているんですよ」
「らしいですね。でも、ネットオークションで、千円で出ていたんですよ」
ショック!
その差、四千円!
「いやぁ、ありがたいです。お金、払いますよ…」
「あ、いいんです。大した金額じゃないんですから。」
「でも…」
「ダメです。受け取りません」
彼女が笑いを含んだ目でじっとこちらを見詰めた時、例のウエイターがコーヒーを運んで来た。
「じゃ、コーヒー代は僕が」
そりゃ当然。
「では、お言葉に甘えて」
彼女はペコリと頭を下げると、「いただきます」 とカップに手を伸ばした。
ありがたいけれど、同じ本が二冊になってしまったな…。
と内心困りつつ、僕は画集のページをめくりながら、「そうそう、これが欲しかったんだ…」と呟いてみせた。
馬川朋美がカップに口を付けながら、嬉しそうにこちらを見ているのが、だんだんとすまなくなってきた。
山内晴哉といい、画集といい、さらに言えば今度のバイト現場の実態といい、たぶんこのエリアは僕にとって、“鬼門”に当たっているのではないだろうか…。
〈続〉
実はこれなんです、と馬川朋美がバッグから取り出したのは、松岡映丘(まつおか えいきゅう) の作品集だった。
松岡映丘とは、明治末期から昭和初期にかけて大和絵の復興に尽力した画家で、日本の近代絵画史にも、もちろんその名を刻んでいる大家だ。
僕にとっては大先輩とも言えるこの偉大な画家の画集を、是非とも手に入れたいものと、出会って間もない頃に彼女に話したことがあった。
それを彼女は、ずっと覚えていてくれたのだろう。
でも…。
実はその後すぐに、デパートの大古書市で件の画集が五千円で出ているのを見つけて、既に入手済みなのだ…。
まさかそんなことを告白するわけにもいかないので、僕は精一杯驚いて見せなければならなかった。
「よく手に入れましたね。これはもう絶版になっているんですよ」
「らしいですね。でも、ネットオークションで、千円で出ていたんですよ」
ショック!
その差、四千円!
「いやぁ、ありがたいです。お金、払いますよ…」
「あ、いいんです。大した金額じゃないんですから。」
「でも…」
「ダメです。受け取りません」
彼女が笑いを含んだ目でじっとこちらを見詰めた時、例のウエイターがコーヒーを運んで来た。
「じゃ、コーヒー代は僕が」
そりゃ当然。
「では、お言葉に甘えて」
彼女はペコリと頭を下げると、「いただきます」 とカップに手を伸ばした。
ありがたいけれど、同じ本が二冊になってしまったな…。
と内心困りつつ、僕は画集のページをめくりながら、「そうそう、これが欲しかったんだ…」と呟いてみせた。
馬川朋美がカップに口を付けながら、嬉しそうにこちらを見ているのが、だんだんとすまなくなってきた。
山内晴哉といい、画集といい、さらに言えば今度のバイト現場の実態といい、たぶんこのエリアは僕にとって、“鬼門”に当たっているのではないだろうか…。
〈続〉