朝の空に浮かぶ夏のやうな雲を見上げて、明日接近と予想される薹風一號云々以上に、今年も暑苦しい季節の接近を實感する。
思えば昨夏の暑さは“熱さ”であり、もはや季節と呼べる風流なものではなかった。
白昼の炎天下で、骨董市の見世番をしてゐた若い女性が、湯上がりのやうな表情で「あつい、あつい……」と喘いでゐた様は、いかにも氣の毒であった。
夏が“災害”であることは、すでに官も公認としてゐるところである。
いかに“過ごす”かではなく、
いかに“やり過ごす”か──
命懸けで我が身を護る季節の到来を、まだカラリとした風の向かふに、私は恐々と聞く。