国道19号線に戻り、しばらく行くうち中央本線の贄川駅を左手に見て過ぎ、線路に沿ってさらに進むと、線路越しに「贄川関所」↑が見えてきます。
山村氏が福島関所と兼ねて支配していた関所で、女性の通行と木曾名物“ヒノキの曲物”の密輸を、主に厳しく取り締まっていました。
明治2年に関所は廃止となり建物は取り壊されましたが、近年になって復元されました。
さて、関所の前を通っているのは、もちろん旧道です。
この道を江戸方向へ辿れば、前述の消滅した道筋の痕跡がなにか掴めるのでは、と挑戦してみましたが、道らしきはやはり雑木林に入ったところで完全に消滅しており、ようやく納得して贄川宿方向へ引き返すことに。
“木曾十一宿”最初の宿場である贄川(にえかわ)宿は、その昔温泉が沸き出ていたことから「熱川」と書いて、“にえかわ”と読ませていたそうです。
かつては道の真ん中に用水路が通っていましたが、昭和5年の大火で、ここもかつての面影のほとんどを失い、京寄りの枡形近くに残る「深澤家住宅」が、辛うじて生き証人であるばかりです。
道は枡形を抜けた先で、中央本線の線路により消滅。
かつては、写真↑奥のトンネル方向へと道が続いていました。
すぐそばに架けられた橋を渡り国道19号線に出て、先へ進むことにします。
山村氏が福島関所と兼ねて支配していた関所で、女性の通行と木曾名物“ヒノキの曲物”の密輸を、主に厳しく取り締まっていました。
明治2年に関所は廃止となり建物は取り壊されましたが、近年になって復元されました。
さて、関所の前を通っているのは、もちろん旧道です。
この道を江戸方向へ辿れば、前述の消滅した道筋の痕跡がなにか掴めるのでは、と挑戦してみましたが、道らしきはやはり雑木林に入ったところで完全に消滅しており、ようやく納得して贄川宿方向へ引き返すことに。
“木曾十一宿”最初の宿場である贄川(にえかわ)宿は、その昔温泉が沸き出ていたことから「熱川」と書いて、“にえかわ”と読ませていたそうです。
かつては道の真ん中に用水路が通っていましたが、昭和5年の大火で、ここもかつての面影のほとんどを失い、京寄りの枡形近くに残る「深澤家住宅」が、辛うじて生き証人であるばかりです。
道は枡形を抜けた先で、中央本線の線路により消滅。
かつては、写真↑奥のトンネル方向へと道が続いていました。
すぐそばに架けられた橋を渡り国道19号線に出て、先へ進むことにします。