浜松城下まで歩いた旧東海道探訪、さらにその先を訪ねて行くことにします。
浜松城から浜松駅前にかけての中心街は、車道も歩道も↑写真のごとく充分に拡幅されていますが、馬込川に架かる馬込橋を渡って中心街から外れると、しだいに道幅は狭くなります。
細い川を何度か渡って子安町で国道152線から分かれて県道に入り、和田町あたりまで来ると、所々に松並木の名残りが見られますが、
ついに歩道は無くなって路肩に白線を引いただけの、心細いものになってしまいます。
浜松城下から1時間10分ほど行ったところで安間(あんま)橋を渡り、旧道は右へと分岐、ようやくクルマの喧噪から逃れて、ホッとした気持ちに。
この先で、天竜川の治水工事など地域の発展に貢献した名主•金原明善の、昔のままに残る生家を過ぎると、東海道のちょうど中間に位置したことから「中野村町」と名付けられた地区へと入って行きます。
明治以降、天竜川上流から舟や筏で運ばれた鉱石や木材の陸揚げで大いに賑わったと云う中野町も、現在では静かな町並みとなっており、20分ほど行って六所神社の前を過ぎて土手に上がると、目の前にはその天竜川(てんりゅうがわ)が。
中世の頃は「テンデューガワ」といった感じの発音だったと考えられているこの大河川、かつては舟渡しでしたが、現在は国道1号線の長い「新天竜川橋」を、10分かけて渡ります。
向こう岸に渡ったところで、1㎞ほど上流の、中世には宿駅がおかれていた池田という地区へ寄って行くことにします。
江戸時代、幕府は何故か旅人が池田を訪れることを戒めていましたが、池田はこの時代にも茶屋や酒屋が軒を連ねる繁華な場所で、また渡し舟もその時の水かさ次第では、池田に着けることがあったそうです。
そういえば、1980年代に片岡孝夫(いまの十五代目片岡仁左衛門)さんが主演したTVドラマ版「眠狂四郎」にも、廃墟となった旧池田宿がならず者の溜まり場となっている場面がありました。
さて、この池田の宿の長者の娘が、謡曲「熊野(ゆや)」のシテである、熊野御前。
その熊野が、母親の死後に住んだ跡とされているのが「行興寺」で、
境内には熊野母娘のお墓のほか、熊野が愛した藤が800年以上の樹齢を保ち、現在でも初夏には房の長い花を咲かせ、
県と国の天然記念物に指定されています。
そして境内裏手には、謡曲「熊野」にちなんで建てられた能舞台があります。
さて、手猿楽師として決して外せない熊野の故郷と、天然記念物の長藤を見て満足したところで旧東海道へと戻り、残り一里十丁(約5㎞)の見附宿をめざします。
浜松城から浜松駅前にかけての中心街は、車道も歩道も↑写真のごとく充分に拡幅されていますが、馬込川に架かる馬込橋を渡って中心街から外れると、しだいに道幅は狭くなります。
細い川を何度か渡って子安町で国道152線から分かれて県道に入り、和田町あたりまで来ると、所々に松並木の名残りが見られますが、
ついに歩道は無くなって路肩に白線を引いただけの、心細いものになってしまいます。
浜松城下から1時間10分ほど行ったところで安間(あんま)橋を渡り、旧道は右へと分岐、ようやくクルマの喧噪から逃れて、ホッとした気持ちに。
この先で、天竜川の治水工事など地域の発展に貢献した名主•金原明善の、昔のままに残る生家を過ぎると、東海道のちょうど中間に位置したことから「中野村町」と名付けられた地区へと入って行きます。
明治以降、天竜川上流から舟や筏で運ばれた鉱石や木材の陸揚げで大いに賑わったと云う中野町も、現在では静かな町並みとなっており、20分ほど行って六所神社の前を過ぎて土手に上がると、目の前にはその天竜川(てんりゅうがわ)が。
中世の頃は「テンデューガワ」といった感じの発音だったと考えられているこの大河川、かつては舟渡しでしたが、現在は国道1号線の長い「新天竜川橋」を、10分かけて渡ります。
向こう岸に渡ったところで、1㎞ほど上流の、中世には宿駅がおかれていた池田という地区へ寄って行くことにします。
江戸時代、幕府は何故か旅人が池田を訪れることを戒めていましたが、池田はこの時代にも茶屋や酒屋が軒を連ねる繁華な場所で、また渡し舟もその時の水かさ次第では、池田に着けることがあったそうです。
そういえば、1980年代に片岡孝夫(いまの十五代目片岡仁左衛門)さんが主演したTVドラマ版「眠狂四郎」にも、廃墟となった旧池田宿がならず者の溜まり場となっている場面がありました。
さて、この池田の宿の長者の娘が、謡曲「熊野(ゆや)」のシテである、熊野御前。
その熊野が、母親の死後に住んだ跡とされているのが「行興寺」で、
境内には熊野母娘のお墓のほか、熊野が愛した藤が800年以上の樹齢を保ち、現在でも初夏には房の長い花を咲かせ、
県と国の天然記念物に指定されています。
そして境内裏手には、謡曲「熊野」にちなんで建てられた能舞台があります。
さて、手猿楽師として決して外せない熊野の故郷と、天然記念物の長藤を見て満足したところで旧東海道へと戻り、残り一里十丁(約5㎞)の見附宿をめざします。