迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

皐月風再縁戯場。

2023-05-16 21:45:00 | 浮世見聞記


河原崎國太郎を觀に、前進座の五月國立劇場公演に行く。


この劇團の「魚屋宗五郎」は故人中村梅之助の主演で何度か目にし、その時の女房おはまは先代の嵐芳三郎、そして先代国太郎の愛弟子だった現在(いま)は脱退してゐない瀬川菊之丞の満を持しての舞薹、そしてあの頃は序幕で愛妾おつたばかりを演ってゐた當代國太郎のおはまを、今回初めて觀る。


(※先代国太郎の愛妾おつた)

決して期待以下ではなかった代はりに期待以上のものでもなかったが、年代的にも現在(いま)がいちばん好い時期(とき)であるはずの國太郎を、いまに觀ておくことに損はないと思ってゐる。


(※中村翫右衞門の宗五郎、先代国太郎の女房おはま 昭和31年2月 大阪歌舞伎座)

あまりに早く亡くなったがために、僅かしか觀られなかった彼の亡父先代芳三郎のことを思ふと、なおさらだ。

さうした故人たちの舞薹で召使おなぎや茶屋女房を何度もつとめ、前進座歌舞伎の佳き時代を肌身で知ってゐる山崎辰三郎が、今回は宗五郎の老父で出たのには驚いたが、歌舞伎劇の親爺方の芝居を手堅く見せてくれたのは、さすが藝歴五十年の賜物。

(※六代目尾上菊五郎の魚屋宗五郎、三代目中村時蔵の女房おはま 昭和16年4月 歌舞伎座)

場面は前後するが、前進座版では發端として必ず上演される“奥庭弁天堂の場”では、三人の若手がいかにも若手らしく清廉な奮闘を見せてゐたが、松竹系歌舞伎のそれらと程度が大差なく映ったのは、今回の彼らの技量(うで)が良いのか、またはあちらの技量が落ちたのか──?

白塗りの若侍は、決して二枚目の柄ではないが、あのふっくらとした容姿は古冩真に見る上方役者だった遠い先祖の“血”を思はせ、面白いものがあった。



三十分の幕間のあとは「風薫隼町賑(かぜかほるはやぶさのにぎはひ)」と、どうもイマイチな外題を付けたいはゆる“かっぽれ”、ロビー担當以外の劇團員が花道からゾロゾロ出て来ての総踊り。

かういふ風流物は藝達者が遊び心をもってやるから樂しいのであって、振付師から習った通りにやるだけで手一杯な、技量(うで)に余裕の無い者ががむしゃらに踊ったところで、ヘタくそな踊りの發表會を見てゐるやうで気分がのらない。


(二代目尾上松緑、七代目尾上梅幸ほかによる“かっぽれ” 昭和53年2月歌舞伎座)

日替はりゲストとして登場した桂米團治が、司會の藤川矢之輔が即興で“越後獅子”をひとくさり踊ったあとの無茶振りで“奴さん”を踊る羽目となり、それでもなんとかこなしてみせて笑ひと拍手を誘ってところがまさに風流物の妙味──流れを受けてさらりと「越後獅子」と「奴さん」を演奏した長唄連中もさすが!──、若い劇團員たちはさうした即妙に富んだ藝と意氣を、もっと盗んだはうがよい。


カーテンコールでは、来年の五月公演は池袋のホールに場所を移して行なふ予定であること、


(※カーテンコールのみ撮影可)

そして劇團運營が相変はらずの苦境であることが正直に訴へられ、私は自らさうしてしまった現在(いま)のこの老舗劇團を應援するつもりはないが、しかし六代目河原崎國太郎と云ふ、ちょっと他にゐない味を持つ女形の芝居が觀られなくなることだけは避けたいので、



ロビーに置かれた募金箱へ、心ばかりの義援金を投入す。


そのロビーの目立たない一隅には、四十回にわたった前進座國立劇場公演のチラシ──の複製──がパネル展示されてゐた。



そのなかに、「東海道四谷怪談」で一度だけ“参加”した師匠の名を見つけ、昨年もここで師匠の名に耳で逢ったことを思ひ出し、今回もまた師匠のたしかな足跡に逢へたことが、今日の芝居見物で一番の歡び。









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