橫濱紅葉坂上の神奈川縣立青少年センターにて、人形浄瑠璃文樂公演の昼の部を觀る。
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觀る、と云ふより義太夫節に乗せて演じられる人形芝居の様子を眺めたかったのだが、常々感じてゐる文樂界の人材と力量の不足がそのまま表れた舞薹に、オイオイ、と一人呆れる。
開口一番に現れた若手の太夫の解説からして臺本丸暗記な駄辯りで内容が無く、續く前座の「二人三番叟」は床も人形も本當に前座藝の域を出ず、「繪本太功記」は導入部の“タ顔棚の段”が眠氣への導入部となりさうなところでやっと本編の“尼ヶ崎の段”、前半で三味線をつとめた鶴澤清治の撥でやっと人形浄瑠璃となったが、後半で入れ替はった“豊竹呂太夫改メ十一代目豊竹若太夫”のチカラの無い浄瑠璃が再び退屈感を引き戻しさうになるのを、三味線の鶴澤清介の力演で何とか幕切れまで逃げ切る。
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“豊竹若太夫”は江戸時代に竹本義太夫門下より出て豊竹一派を興した美聲の太夫を初代とし、當代はその十一代目云々。
十代目だった祖父の藝名を受け繼いだ云々、今日に目撃したあの浄瑠璃では、根拠不明の不可解な襲名は傳統藝能業界の害惡と改めて思はざるを得ない。
主役の武智光秀を遣ったのは桐竹勘十郎、平成十五年に父の名を繼いだ名披露目でも遣った役で、その満を持しての雰囲氣があった襲名公演に、いづれは吉田玉男や吉田蓑助の後を繼いで文樂の牽引者になるかと思ってゐたが、平成二十五年、規定の觀客動員數に満たなかったことで大阪市からの助成金を打ち切られた際、當時の橋下徹市長に澁い顔で抗議に立つ姿をニュース映像で見て、このあたりが限界か、と思ったことを、久しぶりに思ひ出した。
終演後、棲家に保管してあるはずの豊竹山城少掾の同じ音源を、無性に聴きたくなる。
義太夫節とは、まさか今日のアレではないはずゆゑ……。