ラジオ放送の金剛流「融」を聴く。
いまは廢墟となった左大臣源融の邸宅“六條河原院”跡を舞薹に、旅僧が出逢った不思議な汐汲老人と遊舞する源融の靈が、秋の月下に過ぎし榮華へ想ひを寄せる世阿彌の優作。
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……と云っても、今回のやうなやけにサッパリした謠ひからはさうした興趣は浮ばず、その味が京雅に合ふと語る解説者センセイのお説も、私にはサッパリ傳はらぬ。
かつて關西に住んでゐた時代から、京料理の味はひが舌に合はなかった東京モンゆゑの、“好み”の問題だらうか。
平成の御世、廢墟やら廢線やらに魅せられた人がそれらを廣く紹介して一時代をけしかけたことがあったが、さうした興趣はすでにこの古藝にも表れており、時は移れどヒトの見る對象(もの)は大して移らぬ、アラ面白の遊樂や。