ラジオ放送で、寶生流の「小督」を聴く。
やがては平清盛と云ふ強權者に睨まれて儚く散る、若き男女の戀の話し。
嵯峨野に身を隠した小督を探し求める高倉天皇の使者源仲國が、そのよすがとしたのが、彼女の爪彈く「想夫戀」の曲。
私も雅樂の原曲は聴いたことがあるが、確かに解説者の云ふとほり、箏は笙や篳篥の主奏にのせて「バラバラン」と奏でる樂器なので、箏の部分のみを“曲”として聞いたのでは、誰が彈じてゐるはわかりにくいだらう。
しかし、自ら笛を奏する樂人としての顔も持つ源仲國は、絃の“こゑ”を介して高倉天皇の戀人の“こゑ”を聞き、やうやく當人の居場所を探し當てる。
音樂とは何を聴く藝術であるかをさりげなく、だがしっかり傳へた名曲であることを、今回放送の寶生流の謠は悲哀のなかにも雅びをこめて、私に語りかける。