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相模女子大学のグラウンドで催された薪能にて、宝生流宗家による「葵上」を観る。
シテは六條御息所の生霊、本来ならば人間の目に見えない存在だ。
本来ならば、映らない存在。
いままで、さういふことをほとんど気にしないでこの曲に接していたが、演能前のシテ方能楽師による解説のなかでこの話しが出て、今さらにして「言われてみればさうだ……」と思った。
観客には見えても、朱雀院の臣下に代表される作中の“一般人”には、大方の察しはついていながら全く見えない。
わたしも今回はそのつもりで、この曲を観た。
嫉妬に顔の歪んだ女がそこに見えるより、そこにいるのになにも見えないことのはうが、恐ろしさは上のやうに思へた。
シテは六條御息所の生霊、本来ならば人間の目に見えない存在だ。
本来ならば、映らない存在。
いままで、さういふことをほとんど気にしないでこの曲に接していたが、演能前のシテ方能楽師による解説のなかでこの話しが出て、今さらにして「言われてみればさうだ……」と思った。
観客には見えても、朱雀院の臣下に代表される作中の“一般人”には、大方の察しはついていながら全く見えない。
わたしも今回はそのつもりで、この曲を観た。
嫉妬に顔の歪んだ女がそこに見えるより、そこにいるのになにも見えないことのはうが、恐ろしさは上のやうに思へた。