今日は「山の日」、ださうだ。
さう、“本の山”。
今は昔、小學校高學年と中學生の時の担任がそれぞれに登山が趣味で、遠足ではそれに付き合はされて東京近郊のまう名前など覺えていない山を延々登らされたことは、いまでも迷惑だった記憶として残ってゐる。
しかしそれから○○年後、自身が古道探訪者として旧中山道の碓氷峠や和田峠、そして“木曽路はすべて山の中”を自ら望んで挑むことにならうとは、夢にも思はず。
峠越えは、立派な登山である。
旧東海道の箱根峠を越えたとき、すれ違ふ“登山者”と「こんにちは」とごく自然に挨拶出来たことは新鮮な経験だった。
但し、異人の観光客はみんな知らん顔をしてゐたが……。
そして山は、我が城のなかにもあり。
さう、“本の山”。
讀みたいと思った本は片っ端から入手するので、その無計画さがどんどん標高を上げる。
思えば春の終りに、支那病菌予防で地元密着派生活を始めたとき、この本の山の切り崩しを目標に掲げたが、讀み終へる傍から買って来る性癖はもはや不治と悟って以来、むしろ標高の上がることをさらなる樂しみとすることにした。
なぜならば。
標高が下がるといふことは、それだけ「次はなにを讀まうかな……」といふ樂しみも減ることになるからだ。