九月に三重縣で予定されてゐた國体の中止を、縣知事が國へ申し入れ云々。
この時世下では、ごく當然の判断である。
なにも、縣知事が報道屋の前で無念に聲を震はせることでもない。
むしろ、堂々と表明すべきことだ。
結論はもとより一つしかないのだから。
茶番大運動會や甲子園における大愚をまたしてもやらかす必要など、どこにもない。
大勢のヒトの流れが感染者と云ふ病原菌を増殖させることは、お盆の帰省を言ひ訳に大移動した面々による人体實験によって、すでにはっきりと表れてゐる。
“スポーツのチカラ”などしょせん自己満足の域を出ない脆弱なものであり、またお祭り好きの感動屋がキャッキャと喜ぶだけの「平和の祭典」ならぬ「平和ボケの祭典」など、この疫病禍が終熄したのちで充分なのだ。
選手生命……?
この疫病禍により様々な分野で機會を逸した人の數は、連中などの比ではない。
甘ったれぬことだ。