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空はきれいに晴れ渡れど風がおそろしく冷たく、その心身へ染み込むやうな寒さに日差しの温もりすら感じにくかった一日。
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春近しを告げる花々も風に震へて、なんともいじらしいことだ。
東海道かわさき宿交流館の、「懐かしき川崎駅前展」を覗く。
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京濱急行の線路がまだ地上にあり、市電と並走してゐた昭和三十年代の國鐵川崎驛前を再現した大型模型を、興味深く見物する。
その人がまだ若い独身だったこの時代、友人と遊びに行った川崎驛前に空のトラックが到着すると、荷臺の男が「〇〇人、〇〇人!」と必要な人數を叫ぶと暗がりから日雇ひ勞働者たちがゾロゾロと現れて荷臺に乗り込み、その日の“仕事場”へと運ばれて行く様子を目撃したと、話してくれたことがある。
若かったその人には、さうした日雇ひ勞働者たちの暗がりからゾロゾロと現れる様が怖く映り、いらい川崎の繁華街へは出かけられなくなったと云ふ。
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戰後に重工業都市として發展、躍進した川崎を支へたのは、かうした低層辺の勞働者たちでもあった。
しかし、この川崎區制五十周年記念展では、そのことに触れるわけがない。
名と云ふものは、最後まで名も無き者たちの手によって成されるものだからである。