迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

尊厳儀礼の送り。

2018-05-29 18:26:50 | 浮世見聞記
「間もなくご遺体が通りますので、それまでここでお待ち願へますか」

中から出て来た男性にさう言はれて、私はにわかに厳粛な気持ちになった。

私はいまからそこに用事があるので、出直すわけにいかず、かと言ってそっぽを向くわけにもいかず、少し離れた場所に移らうかと思ってゐるうちに、チャック付の細長いカバーを乗せた寝台が、数人の男性の手で、静かに運び出されて来た。

間もなく寝台は、私の前を通ることになる。

その方のことは、私はもちろんまったく知らない。

だが、天より与へられた生を全うされた、人生の先輩であることだけは確かだ。

その尊厳は、守られねばならぬ。


私はおのずと、頭(かうべ)を垂れた。


寝台は通り過ぎ、近くに待機してゐる車の扉が閉まる音を聞ひて、私は頭をあげた。

そして、走り出す車に黙礼をした。


与へられた生を全うされた方と、与へられた生をいよいよ活さうと、地に足を付けてゐる者とが交差した瞬間に居合はせたのは、そこに“なにか”があったからだらうか。


直視が失礼にあたるとき、その最も礼を失さない作法を、私はもしかしたらその方から、授かったのかもしれない──


さう理解して、私は普段に立ち戻った。
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