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昨年に神保町で見つけて、あっと思って購入したピエール・ロチ著「お菊さん」(野上豊一郎訳)を、本日やっと読了。
明治18年の“ナガサキ”でひと夏を過ごしたフランス海軍将校と、期間限定のいわゆる「現地妻」“マダム・クリザンテエム”-お菊さんの、およそ読み物らしくない、かなり淡々とした物語。
主人公はロチ本人で、ニッポンとニッポン人を、かなり“上から目線”で描いているのが特徴。
読み始めた時は「何じゃコイツ」と思ったけれど、当時の“異人”にはニッポンは一般的にこう映ったのかも、と考えたら、それなりにけっこう楽しんで読めたな。
この作品を貫く「ニッポン蔑視」のような文体は、「ニッポンを理解しようと努めて、結局理解出来なかった西洋人の典型」などなど、色んな解釈があるらしい。
まァ、文章というのはさ、読む人それぞれの、自由な解釈があっていいんだよ。
学校の国語の授業みたいに、「これはこうだ!」だなんて、他人(ひと)の解釈を押し付けられるのは、私はキライ。
確か昨年の晩夏頃から読み始めて、さほど長編でもないのに拘わらず、年明けになって読み終えたのは、途中に全く読書どころではない時期があったから。
先日、三遊亭小圓朝さんの落語を聴きに行った時にもつくづく思ったけれど、楽しみを削らなくちゃならんような生活パターンは、絶対にやめるべきだ。
明治18年の“ナガサキ”でひと夏を過ごしたフランス海軍将校と、期間限定のいわゆる「現地妻」“マダム・クリザンテエム”-お菊さんの、およそ読み物らしくない、かなり淡々とした物語。
主人公はロチ本人で、ニッポンとニッポン人を、かなり“上から目線”で描いているのが特徴。
読み始めた時は「何じゃコイツ」と思ったけれど、当時の“異人”にはニッポンは一般的にこう映ったのかも、と考えたら、それなりにけっこう楽しんで読めたな。
この作品を貫く「ニッポン蔑視」のような文体は、「ニッポンを理解しようと努めて、結局理解出来なかった西洋人の典型」などなど、色んな解釈があるらしい。
まァ、文章というのはさ、読む人それぞれの、自由な解釈があっていいんだよ。
学校の国語の授業みたいに、「これはこうだ!」だなんて、他人(ひと)の解釈を押し付けられるのは、私はキライ。
確か昨年の晩夏頃から読み始めて、さほど長編でもないのに拘わらず、年明けになって読み終えたのは、途中に全く読書どころではない時期があったから。
先日、三遊亭小圓朝さんの落語を聴きに行った時にもつくづく思ったけれど、楽しみを削らなくちゃならんような生活パターンは、絶対にやめるべきだ。