迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

國難の素顔。

2020-05-20 17:39:00 | 浮世見聞記
この國難下ではいろいろな實態が暴き出されて、私のやうな悉くの門外漠には眺め飽きることがない。


この頃では、生活補償金のオンライン申請が、全くの麻痺状態云々。

マスクの配布や補償金支給は全國で落差があれど、かういふ不手際だけは全國で足並みの揃ふところ、いとをかし。

ネット社会だのなんだのと言ったところで、實態は一部のヒトの持ち道具に過ぎないと云ふことだ。



兵糧を調達しに地元のスーパーへ行くと、そこに入ってゐる100圓ショップに、不織布マスク一箱三十枚入りが、¥1300+税でたくさん賣られてゐた。

もちろん、手に取らず。

いまだ届かぬ為政者肝煎りマスクが「いまさら」ならば、かうしたマスクも「いまさら」だ。

この國難で、改めて商賣人根性といふものが暴かれ、私には穢ひものに映ってならぬ。



「士農工商」でなぜ「商」がいちばん下におかれたか、よく解るといふものだ。



夏の甲子園は中止に決定云々。

學生運動會の他の種目は潔く中止を決めたのに對し、こちらは「せめて地方大會だけでも」云々と、自分のことしか考へていない世情暗愚ぶりを曝け出していつまでもゴネていただけに、




やうやく下した當然の決定も失笑モノでしかない。

ここでたとへ不完全な形であっても“強行”すれば、中止となった他の競技の學生たちはたまらないだらう。

「今は今しかない!」だの、「その日を目指して努力を重ねて」ゐるのは、なにも自分たちだけではない。

浮世には、努力や熱意だけでは通らぬ事が多々あることを、「浮世の學問」として學ぶべし。

それを受け止められるか否かは、それこそ個々の“偏差値”に懸かってゐる。


これが、諸君の“収穫”だ。






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