朝から雨模様なれば、地元の散歩はその止み間を狙ふことにして、それまでは摂州大物の浦を旅せんと、「舟辨慶」の謠本を廣げる。
「不行而知名所」──謠ひには“行かずして名所を知る”、つまり謠ふことでその曲の舞台となった土地を訪ねた気分になれる──即ち“知る”──効用あり。
つまり、浮世の尻軽どもや、“自粛警察”なる唯我正義どもに煩はされることなく、旅気分が味はへるのである。
地元密着派生活が始まってそろそろ一ヶ月、それまで手猿樂の創作にばかり掛かってゐたので、これからは基礎である猿樂のお浚ひのはうも、旅気分を樂しみながら始めん。
もちろん、本當の旅行もしたいところだが、かつて病菌専門家たちが毎週のやうに口にしてゐた、
「ここ一、ニ週間がヤマ場」
は、それこそ今この時と、じっと待たん。
為政者は二十一日に、“お手上げ宣言”の完全解除を検討云々。
おそらく、解除するだらう。
國民に、自力で生活を再建させるために。
私もこの頃ではすっかり忘れてゐたが、我が町の自治体からはマスクの“マ”の字も、補償金の“補”の字も聞かぬ。
これにより、“他力本願派”は大半が没落するだらう。
今日の東京の感染者數は一ケタとのこと、漏れ傳はる“話し”と照らし合はせて、思はず「あっさうなの……」と吹き出す。
そして、遊樂目的で幼児を連れて首都圏へ出て来た様子の父親が、報道屋の突き出すマイクに向かって曰く、
「北海道のやうな“第二波”が東京にも来たら怖い」
案ずるに及ばぬ。
ちゃんと来る。
それは、アナタが呼んでゐるから。
この頃のニッポン人はなんでも行列をつくって待つことがお好きなわりに、かういふ命に関はる事態には“待つ”といふことが出来ないのだな、と呆れけり。
もっとも、ここで一度宣言を解除しても良いかもしれぬ。
緩んだ箍(たが)を締め直すためにも、この際いくらかの“生贄”はやむを得まい……。