迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

到着驛の拘泥。

2021-08-21 18:16:00 | 浮世見聞記


東京メトロ銀座線の淺草行きを利用すると必ず、

「今度の電車は淺草驛一番線の到着です」

または、

「二番線の到着です」

と云った案内を聞かされる。



一番線……?


二番線……?


それで何なのだ、と毎度思ふ。

一番線だの二番線だのだけ言はれても、それがどちらのホームなのかわからない。

「○番線は○○方面出口に近いです」くらゐまで案内してくれたら親切だが、淺草驛はどちらのホームから降りても、同じ改札口に出る。


ただ、都營淺草線への連絡通路は片方のホームとしか繋がってゐないので注意が必要なのだが、しかしさういふ案内は聞いたことがない。


ただ一番線、二番線とだけでは、案内としてまったく不親切である。


もっとも私は、銀座線を終點の淺草まで利用することは、殆どない。


それだけに却って、「だから一番線到着だったら何なのだ……!」と、アレを聞くたび、氣にさせられるのである。








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