東京へ戻って以来、大阪へ来ても梅田駅からは地下鉄で四天王寺までを直行直帰するだけだったので、今回はじつに十数年ぶりにミナミ──道頓堀と千日前界隈を訪ねてみる。
が、あまりにヒトの喧しい場所に様変わりしてゐて、「こはいかに……」と、唖然とする。
もとよりここは賑やかなところだが、私が大阪府民だった十数年前は、もっと関西言葉に溢れた、もっと上方独自の匂ひを持つ繁華街だった──はずだ。
その匂ひが、異質なモノに駆逐され、全くの別物に変化してしまったやうで、もはや私が肌で知ってゐる街とは違ふマチとなってゐることを、ここに肌で感じる。
だがあの頃の街は、
いまも私の心のなかに在る。
そこが、私の道頓堀だ。
さりながら。
師匠と、藝系上の先祖がおはす四天王寺のたたずまいは、今日も変はらない。
約二年ぶりの挨拶と近況報告を済ませて、あとにしやうとした時、なぜか突然に込み上げてくるものがあって、私は慌ててポケットのハンカチを探る。
駅で、三人連れのおばちゃんたちの会話が聞こえてきた。
私はやうやく、
私の知ってゐる大阪を、
取り戻した。
が、あまりにヒトの喧しい場所に様変わりしてゐて、「こはいかに……」と、唖然とする。
もとよりここは賑やかなところだが、私が大阪府民だった十数年前は、もっと関西言葉に溢れた、もっと上方独自の匂ひを持つ繁華街だった──はずだ。
その匂ひが、異質なモノに駆逐され、全くの別物に変化してしまったやうで、もはや私が肌で知ってゐる街とは違ふマチとなってゐることを、ここに肌で感じる。
だがあの頃の街は、
いまも私の心のなかに在る。
そこが、私の道頓堀だ。
さりながら。
師匠と、藝系上の先祖がおはす四天王寺のたたずまいは、今日も変はらない。
約二年ぶりの挨拶と近況報告を済ませて、あとにしやうとした時、なぜか突然に込み上げてくるものがあって、私は慌ててポケットのハンカチを探る。
駅で、三人連れのおばちゃんたちの会話が聞こえてきた。
私はやうやく、
私の知ってゐる大阪を、
取り戻した。