千代田區九段南の昭和館にて、「ポスターのちから~変化する役割と広がるデザイン~」展を観る。
私は現在でも興味ある企画の情報は、掲示されてゐるポスターやチラシから得てゐる。
今回出かけたこの企画展も、さうして知ったものだ。
近代文明黎明期には美人画の延長のやうに認識されてゐたポスターも、その發信性の高さから──受信性云々はともかく──、商業面と政治面の両方から有効な宣傅手段として重用されていく。
さうして図案家たちがより衆目を惹く“作品”をめざして腕を揮ひ生み出した優品たちは、同時にその時代を知る“窓口”として、後世に一級資料を提供してゐる。
そのなかでもっとも私の目を惹ひたのが、昭和十七年に大政翼贊會が制作した『おねがひです。隊長、あの旗を射たせて下さいッ!』と大きく謳った一枚。
“わが軍の計画をことごとく邪魔する米英の、せめて國旗だけでも射てから死にたい”と、悲愴感あふれる調子が續き、いかにも大日本帝國臣民の戰意高揚を狙ってゐるやうでゐて、實は戰況の惡化をはしなくも吐露したものにほかならない──と、私は讀む。
その事實は、すっかり粗惡化した用紙によっても一目瞭然である。
しかしこれは稀有な例だ。
為政者がやけに調子の良いことばかりを宣ってゐるとき、裏ではまったく異なる計画を勉強してゐる最中であることを、私たちはこの人災疫病禍でまざまざと見せつけられてゐる。
宣傅媒体の図案には、おそらくは作者も意図しなかったであらう聲が隠されゐることがある。
それは作品が人の手を離れて、
独自に魂を持つからだ。