ヒトの少ない時間帯に古本市を覗き、懐かしいけれど購入したいと思ふほどではない本を何冊か見て、それなりに樂しいひとときを過ごした帰り道、お庭から道へ張り出した百日紅が、綺麗な花をつけ始めたのを見る。
為政者は何やら奇怪なことを煽ってゐるが、今年の夏は「命を守る行動」に徹するべきであることは、明らかだ。
為政者は何やら奇怪なことを煽ってゐるが、今年の夏は「命を守る行動」に徹するべきであることは、明らかだ。
日本國内で支那病菌による死者が1000人を越えたことについて──その内訳に勝武士さんは入ってゐるのだらうか?──、どこかの元“醫療従事者”は「他の病気で亡くなる人は萬單位でゐる」、だから1000人など少ないと數字自慢をしてゐた。
だがわたしは、これは依然として感染を食ひ止められていない現状を表した深刻な數字であり、多い少ないの問題ではないと考へる。
いまや夏は、複合的災害の季節となり、真っ白な光の下で開放的氣分に躍る人間の隙を衝いて、それは襲ひかかる──これが現實だ。
それでも、蟬の聲と百日紅は、昔の夏のまま。
氣品ある紅いの花を見上げて、
すでに来てゐる夏に、
耳を傾ける。