川崎市麻生區市民會館大ホールにて、大藏流狂言方・山本東次郎と、喜多流シテ方・友枝昭世の人間國寶両師の舞薹を觀る。
山本東次郎師の狂言は「粟田口」、粟田口(あわたぐち)とは鎌倉時代、京の入口にあたるその地に群居してゐた刀鍛冶の打った刀を云ったが、そのことを知らない大名は「心の直(す)ぐでない者」を信じて自分の太刀と刀を預けた挙げ句──
最後に舞薹にひとり殘ったあとの演技はまさに國寶の真髄、人災疫病禍前年に橫濱能樂堂で觀た一人狂言「東西迷(どちはぐれ)」の名演を思ひ出させるものがあり、この狂言方は一人での演技に他の追随を許さぬものがあると感じる。
さらに大喜利の鼎談では、その一人での演技は「その日の自分の氣持ちで、自分で創れ」と教はったとの話しが披露され、開演前に御年九十五だとかの女歌人の、「解説」と謳った長饒舌などより、話しがはるかに深いと感じ入る。
友枝昭世師の「殺生石」は、その昔金剛流から頂いたと云ふ“女体”の小書(特殊演出)を付けた演能で、後シテでは緋の長袴を着けて舞ってゐたが、明らかに裾の扱ひに難儀してゐる様子、鼎談でもそのことを正直に告白してゐた。
一度は行きたいと願ひながら未だ一見の叶はぬ那須野の殺生石、昨年に真っ二つとなり、それすらも目に出来ぬうちに、舞薹上の作り物が真っ二つになる演出を先に見る。