迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

二度目の基準。

2021-08-09 12:43:00 | 浮世見聞記


長崎に原子爆彈が投下されて、今日で七十六年目となる。


大阪に住んでゐた時代、青春18きっぷを手に九州をほとんど彷徨ふやうに旅したとき、初めて長崎を訪れた。

市電、グラバー園、眼鏡橋、中華街、思ってゐたほど美味しいと思はなかったチャンポン、出島跡、大浦と浦上の天主堂──

と名所旧跡を巡るなかで、もちろん原爆資料館と、そこから程近い原爆投下中心地の碑も訪ねた。

ただただ厳粛な氣持ちになったことは、よく憶えてゐる。


米夷にとって、原子爆彈は日本の都市に落とせれば“どこでもよかった”、くらゐに考へてゐたふしがある。

實際、小倉に投下しやうとして雲が邪魔したため目標地を急遽変更した、と聞ひたことがある。


人の運命は、他人(だれか)の匙加減ひとつで簡單に決まってしまふことが、往々にしてある。

私も、大昔にさうしてひとつの仕事をフイにされた不快な経験がある。


歴史には、つねに狂言作者がゐる。



その日の午後、長崎驛から普通列車に乗り、鳥栖経由で八代へと向かった。

途中、放課後の部活動の女子高生らしき集團が、走りながら列車に手を振ってゐた。

私はそれを、冷めた思ひで横目にやり過ごした。

それは、現在(いま)も変はらないだらう。 



いまの私に、長崎は遠い。





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