銀座の画廊を会場におこなわれた、金春流宗家の講座を聴きに出かける。
テーマは「獅子の舞について」だったが、そこから派生するさまざまなお話に、宗家とは能楽の歴史そのものなのだということを、実感する。
その多岐にわたるお話のなかで、ほぼ同時代に発生したと考えられる“猿楽”と“幸若舞”のうち、後者が中央の舞台から姿を消したのは、
「時の権力者だった徳川幕府から、猿楽よりも高い地位を与えられて、それに安住したからと考えられる」
との見解は、とくに興味深かった。
時の権力者は、しょせんその“時”の存在でしかない。
そこへにすり寄る者は、その権力者が崩壊した途端、運命を同じくしていることは、これまでの歴史が多く証明している。
権力者に保護されつつ、一般庶民とのパイプも維持してきた“猿楽”の在り方に、わたしはあらゆる時代を生き抜くための秘訣を、見出だすのである。
テーマは「獅子の舞について」だったが、そこから派生するさまざまなお話に、宗家とは能楽の歴史そのものなのだということを、実感する。
その多岐にわたるお話のなかで、ほぼ同時代に発生したと考えられる“猿楽”と“幸若舞”のうち、後者が中央の舞台から姿を消したのは、
「時の権力者だった徳川幕府から、猿楽よりも高い地位を与えられて、それに安住したからと考えられる」
との見解は、とくに興味深かった。
時の権力者は、しょせんその“時”の存在でしかない。
そこへにすり寄る者は、その権力者が崩壊した途端、運命を同じくしていることは、これまでの歴史が多く証明している。
権力者に保護されつつ、一般庶民とのパイプも維持してきた“猿楽”の在り方に、わたしはあらゆる時代を生き抜くための秘訣を、見出だすのである。