迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ちからはつよいほうがかちなのか。

2014-08-05 22:17:40 | 浮世見聞記
銀座の画廊を会場におこなわれた、金春流宗家の講座を聴きに出かける。

テーマは「獅子の舞について」だったが、そこから派生するさまざまなお話に、宗家とは能楽の歴史そのものなのだということを、実感する。


その多岐にわたるお話のなかで、ほぼ同時代に発生したと考えられる“猿楽”と“幸若舞”のうち、後者が中央の舞台から姿を消したのは、

「時の権力者だった徳川幕府から、猿楽よりも高い地位を与えられて、それに安住したからと考えられる」

との見解は、とくに興味深かった。


時の権力者は、しょせんその“時”の存在でしかない。

そこへにすり寄る者は、その権力者が崩壊した途端、運命を同じくしていることは、これまでの歴史が多く証明している。


権力者に保護されつつ、一般庶民とのパイプも維持してきた“猿楽”の在り方に、わたしはあらゆる時代を生き抜くための秘訣を、見出だすのである。
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