迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

とうぼうさくにやまさるらん。

2013-11-28 22:55:17 | 浮世見聞記
八月の関内ホール公演から三ヶ月。

その後もオモロイことづくめの政界をいかに斬るかを楽しみに、練馬文化センター大ホールの、「ザ・ニュースペーパー LIVE 2013」を観に行く。


来年の今ごろには意味が通じなくなっているであろう際物コントを眺めながら、ふと思ったことは、


“人が笑いを求めるのは、いまという時代を生きることに、『幸せ』を感じていないからだ”


と、いうこと。


ほんとうに幸せならば、わざわざ笑うことを求める必要など、ないのだ。



もう笑うしかないから、人は笑う。




喜劇は、俗世という名の不幸を糧に永遠の魂を保つ、魔物なのかもしれない。




しかしわたしは、いまという時代を、嘆きはしない。


むしろ、結構だと考える。


大金を突然手にした貧乏人が狂気に走るように、幸せの扱いなど知らない現世人がそれを手にしたら、うろたえて何を仕出かすか、わかったものではない。




生きぬよう死なぬよう、常に尻を叩かれているのが、じつは分相応な幸せなのだ。
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