陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

オオエヤマとアマノハシダテ・百人一首の話

2025年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

お正月を奥丹後で迎え「丹後路」を楽しんできたはずが、いざブログに書こうとすると知らないことばかり、あれこれと迷い後回しにしている内に一月も終わりに近づいてしまいました。今さら「丹後記」もないかと思いましたが、ふと思い出したのが「つれづれなるままに・・・(徒然草)」の一文。で、文字通り思いつくままの一文です。

旅の始まり

「京丹後の宿が取れたから今年のお正月は京都だよ!」と娘からお誘いのメールが来た時、気軽に「了解」と返事をしました。でも「京丹後」の何処に宿が取れたのか、どこが目的地かも聞かなかったのです。それが私の認識の甘さでした。丹後はそう甘い処ではなかいことに気が付いたのは旅に出てからでした。

山陰線ホームで電車を待つ人。

大晦日に静岡から新幹線で京都駅に、駅はお正月を故郷で過ごそうという人や旅行客でいっぱいでした。さて旅の宿泊地「久美浜」とは何処なのか? それには何線に乗ればいいのか? そんな幼稚な疑問から不勉強な私の丹後行きは始まりました。

先ずはjR山陰本線、行先は「豊岡」です。兵庫県北部の中心都市と聞いてはいましたが知識はなし。聞いたことのない駅名に戸惑いながら、車窓に現れる景色をじっと眺めていました。景色は次第に田園風景になり、田畑はやがて林になり林は山になって、何処までも何処までもひたすら北上していきますが特別なものは何も・・・ないのです。

2時間ぐらいしてようやく町らしい風景が現れました。そこが「豊岡」でした。そこからまたバスに乗り換え山あいの道をくねくねと走り、さらに海沿いの道をくねくねと行くと、静かな湖のようなところに着きました。そこが日本海の入り江の「久美浜」で,人気のない淋しい処でした。大げさに言えば遥々と日本列島を縦断してよくきたな・・という感じ。

 

タイムスリップして平安の奥丹後へ

どうやら「大江山」とおぼしき写真。

宿について一休みしてからガイドブックを開いてみました。そして驚きました。京都から兵庫県に入って越える小高い山の名が「大江山」だったのです。そして「オオエヤマ」の先に見えるのが「アマノハシダテ」なのです。とっさ私の頭はタイムスリップして百人一首の一句が頭に浮かびました。

私の子どもの頃の思い出

子どもの頃、お正月のいちばんの楽しみは「百人一首」でした。晴れ着を着て家族全員が八畳間に集まってかるたを取る・・・・。歌の読み手は母で、上の句を読んだ後にちょっと間を置いてからおもむろに下の句を読む・・・。年上の兄や姉たちは、その上の句の一音を聞いただけでサッと手を伸ばし札を飛ばす。それをよそ目に私たち下の子は。自分の知っている一枚の取り札を大切に囲みこんで、それが読まれるのをじっと待つのです。(それが誰かに取られようものならワッと泣きだしたりして)それでも最後に2~3枚が取れれば大満足、上機嫌な楽しいお正月の行事が「かるたとり」でした。今考えれば家族全員の安上がりな娯楽だったのですが、そんなことを毎年繰り返していましたから私たち幼い子供たちも、いつの間にか自然に百人一首を覚えていました。「オオエヤマ」とくれば「マダフミモミズアマノハシダテ」です。歌の意味など全く知らないのに、そう丸暗記して覚えていました。その大江山に違いないのです。

大江山生野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立  古式部内侍

これは百人一首の中にある古式部内侍の歌なのですが、古式部内侍というのは和泉式部の娘。紫式部や清少納言と共に平安中期を代表する女流歌人として昨年のNHKの大河ドラマ「光る君へ」にも登場していた人物、その人の娘、古式部内侍がこの大江山・天橋立」の歌を詠んでいたのです。

天橋立の案内看板

当時(平安中期の1000年頃)母の和泉式部は地方に赴任した夫の橘道貞と共に丹後にいました。娘は都で宮遣いをしていましたが母に負けない歌人として知られていました。誰かが「そのお歌、お母さまに代筆してもらったのでは?」と聞いたのでしょう。問われてすかさず古式部内侍が返した歌が「まだ文も見ず天橋立」です。歌の意味は掛詞を使った次のようなもです。

大江山を越え生野を通る丹後の道は遠すぎてまだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙もまだ見ていません

京都と丹後はあまりにも遠く、簡単に手紙のやり取りのできるような距離ではありません。京から奥丹後に行くには数日がかかります。女の足では難儀な道のりです。そんな時代に和泉式部は丹後にいたわけです。京から丹後までの過酷な旅をして・・。

急に奥丹波も天橋立も、他人ごとではない身近な存在に思えてきたから不思議です。

言葉の持つ不思議・面白さ

思いがけない5文字の言葉から不思議な力をもらって、いろいろなことを考えました。兄や姉たちが取り札にしていた歌にも、きっとそれぞれの思いが託されていたに違いありません、百人一首には恋の歌が多いからです。そして、大江山に住む鬼の話や天橋立の国生みの話は、和泉式部や古式部内侍が子どもの頃にきっと聞かされていたに違いない・・そう思うのです。それが言葉の不思議、言葉には不思議な魔法があるのです。

天橋立駅とその案内図

子どもの頃覚えた一かけらの言葉から思いがけない奥丹後の姿を教えてくれた今回の旅に感謝です。本当にありがとう。

百人一首を編んだのは藤原定家です。平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した100人の歌人を択んで勅撰和歌集を編みました。それが中世から近世初期にかけ貴族の間で尊重され、さらに江戸時代になると「歌かるた」として普及します。そして昭和になると私たち庶民の間にも「かるた取り」として普及しました。おかげで知らず知らずに古文になじみ、昔の人の心と出会いました。「ことば」の持つ力に驚かされます。

次の日、私たちは天橋立に行きました。そのおはなしはまた・・ね。

   


京都・奥丹後から

2025年01月06日 | 旅の記録

遅ればせながら

あけましておめでとうございます。

暮れからお正月を京丹後で過ごしてきました。

思っていたのと違い丹後はあまりに遠く遥かな地、

ただただ茫然と、見知らぬ風土の見知らぬ文化や歴史を

タイムスリップしたように感じながら楽しんできました。

 

2025年1月1日」午前7時

宿から見た久美浜の日の出です。撮った写真に指で「おめでとう」を書いた年賀状です。

「京都」と言っても、今回旅した京都は、京の都の「京都」ではなく

いわゆる日本海側の北の京都、「海の京都」といわれる地域です。

このあたり一帯を「奥丹後」といいます。

 

宿泊地の海。久美浜湾は湖のように静かで穏やかな海でした。

ここから今回の奥丹波の「旅」は始まりました。

奥丹後記


メリークリスマス

2024年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Merry Xmas

おかしなおかしなクリスマス

何世紀か前に造られて、今は廃墟になっている石の家の前

見たこともない不思議な動物と

びっくりして腰を抜かしてるサンタクロース

 

この子の名前は「 、」と書いて「 シルス 」って言うんだって

海に流れ着いた流木と、道に転がっているブラステイックと金属でできた

おかしなおかしな 「 、 」「 シルス 」

未来から来たの? それとも過去から?

何処から来たのか 何しに来たのか知らないけれど・・・・

そんなこといいよね!

さあ  みんなで一緒に 「 メリークリスマス 」

 

 


竜胆(リンドウ)の花が咲いたよ

2024年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

あっという間の師走です。枯葉の掃除の忙しい季節になりました。

そんな枯葉に覆われた庭の片隅に薄青紫の竜胆が咲いていました。

 

 

   

 

今年の異常な暑さで、繊細な花はみんなダメ、セイタカアワダチソウのような逆境に強い花が庭を覆っていました。

なのに師走になって、美しい薄青紫色の竜胆の花が咲き、その傍らにはいつものように野菊の花が咲いていました。

 

   

 

「民さんは何がなしノギクのような人だ・・・」と政男がいう。

 民子は野菊のような児であった。全くの田舎風ではあったが粗野ではなかった。

可憐で優しくそして品格もあった。

「政男さんは何がなしリンドウのような人だ・・・」と民子がいう。

 

 伊藤佐千夫の「野菊の墓」の一節、読んだのは確か高校生の頃です。それなのにこの花を見ると今だこの台詞を思い出すのです。

 人の感性と言うものは、何かその中心に核のようなものがあって、その核を中心に年月と経験が重なって太っていくのではない

 か・・・・なんて勝手のことを想ったりします。

 野菊も竜胆も秋の野にひっそりと咲く昔ながらの野の花なのですが、何故か気品の感じられる花なのですね。

 

 


埴輪HANIWA展(東京国立博物館)に行ってきました。

2024年11月13日 | 展覧会

埴輪 [けい甲の武人]・古墳時代6世紀

教科書などでお馴染みの埴輪です。

まだ可憐な少年の面影をしていますが、体にはがっちりとした甲冑を付け頭には金属製の兜をかぶっています。手足にも武具を付け、一方の手には弓をもう一方の手には剣を持って、見るからに凛々しく若い兵士の姿です。甲冑を締める革紐の蝶結びが何とも可愛らしい・・・です。

会場には同じような埴輪が何体か並んでいます。

その身長はおよそ135cm、今の中学生ぐらいの身長です。私の想像を遥かに超えた実物大のリアルな兵士たちは、さながら日本版兵馬俑と言えそうな迫力です。

 

五体の「けい甲埴輪」が並ぶ会場風景

古墳時代は、およそ3世紀から6世紀頃までを指します。その後、仏教が入ってくると仏像や寺院が全盛となり、埴輪も姿を消します。その間の300年の埴輪文化を紹介したものが、今回の「埴輪展」です。

 

円筒古墳・古墳時代4世紀 

古墳時代初め頃の埴輪はまだ人の姿をしていませんでした。この土管のようなものを「円筒埴輪」と呼びます。

その後、時代を経るにしたがって埴輪の姿もさまざまに変わっていきます。

 

「家や舟や器材等の埴輪」古墳時代5世紀です。

王が権力を発揮する頃になると、古墳を彩る埴輪も権力の象徴になって行きます。埴輪は大量生産され、日本各地に船で送り出されました。

埴輪・捧げものをする女子

埴輪 踊る人々・古墳時代6世紀

   

    ・・・・・・・・・

そんな埴輪文化の中で、私が一番面白いと思ったのが 動物埴輪 でした。

馬・鹿・犬・豚・猪 いろいろな動物が、かなりリアルな姿で作られていたのです。それらはどれも可愛いいのです。

 

狩人を見据える、牡ジカ

ふと振り返ると、人間と目が合ってしまい立ち止まる、そんな鹿のようすが生々しく伝わってきます。

その昔、人と動物は今よりずっと対等で、互いに尊重し合って暮らしていたのではないかしら?

・・・そんな勝手な想像をしてしまう程のどかではいわそうな動物たちなのです。

 

鹿型埴輪・狩人に追われ振り返る 古墳時代6世紀

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

300年も続いた日本の古墳時代と埴輪文化。

そこには、日本人の気真面目で我慢強い精神性と共に、ユーモアとアーテイスチックな芸術性が感じられます。

 

青い空、緑の木々、豊かな水辺 美味しい魚や木の実、動物たちとの平和な暮らし、

なぜかノスタルチックな懐かしさを感じさせる埴輪展でした。

会期・12月8日(日) 場所・東京国立博物館 平成館

 

付録  utinohaniwaー2024

  先日作った家の埴輪です

 


2024年日展開幕

2024年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

長い長い夏が続いてなかなか秋にならない、おかしなおかしな年でした。

地震・洪水・大雨、異常気象が頻発して地球そのものの安否さえ問われる年でした。

そんな中でも人々は黙々とおのれの営みを続け、そんな中で迎えた日展でした。

 

 

2024年第11回日展      会場での展示風景 

炎濤乱【ほのおとうらん】

濤々と打ち寄せる波のようなブロンズの群像     

孤独な魂 燃え上がる命 炎のような情念 

孤高なるものへのオマージュ

そこには紛れもなくわたしがいる

 

【2024年度入選作品。会場での光線の具合が悪くブロンズが黒くなってしまいました】悪しからず


埴輪を作る

2024年10月04日 | 旅の記録

 お久しぶりー。 

 お願いがあるんだけど俺の誕生日に埴輪を作ってほしい!

 出来たらお願いしますー!

 

長野県に住む娘の長男(孫)からからこんなメールが届いた。こんなかわいいお願いに張り切らないわけにはいかない。

粘土ならお手のものと、気軽に作り始めた・・・がこれがなかなか難しい。

 

 

最初に作ったのは一番小さい子供の兵士みたいな埴輪。まだ小さな子供が兵士の真似をしているみたいでちょっと華奢すぎるかな?

で、資料を調べてみると古墳に眠る豪族の長を警護する埴輪は、鉄の鎧と兜で身をかため弓と剣を構える屈強な男性像だ。

二体目は背を高くして男っぽくしたつもり・・・だったが何となく現代っ子のスリムなハンサムボーイのイメージ。

で、三体目に作ったのが、大谷翔平クンみたいながっちりした体格のたくましくて強そうな埴輪。(のつもり)

 

さて、どれが合格するか? これから本焼きなんだけどネ。


九月(長月)・仙人草

2024年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

35℃を超える連日の猛暑・南海トラフ地震予兆警報・大雨と台風10号 異常な八月がやっと終わった。

風がほんの少し秋を運んできて、ようやく「やれやれ」とほっとした気分の九月(長月)がやってきた。

この異常な夏は。人間だけでなく自然にもかなりのダメージを与えたように思う。繊細な野草は高温に負けて枯渇し、丈夫な雑草だけがこれまた異常に生き残って、庭先の空地で風に揺れている。野生の白花フジバカマも野生のススキもそのほかの雑草も,優に2メートルを超える高さになっている。

ススキの根元には蔓性の野草、仙人艸(センニンソウ)が絡みつくように伸び上がって咲いている。どうして仙人草がここに来て何のために咲いているのかその素性は解らないが、遠くから見るとそれが緑を彩る白い髪飾りのようで、とてもきれいだ。

仙人草魔法のベール木々にかけ

 

センニンソウ・立派な名前はついているが、雑草のようにたくましい。いったん庭に持ち込むと容赦なく繁殖して取り去るのに苦労する。

「雑草」って一体何なんだろう?・・・と気になった。

雑草の定義

雑草とは、種子が不良な温度変化や湿度変化に耐え、休眠状態のまま死滅せずに土壌中に深く保存され、その後に耕しなどの人為要因や降雨などの自然要因に寄り土壌が攪乱され、種子が土壌表層に持ち上がり自然に発芽し育った植物のことを言う。

なるほど! 今年は谷津山のあちこちの樹々や草群に仙人草が絡みついた咲いている。この夏の異常気象が重なって眠っていた種があちこちで成長して繁殖したのだろう。仙人草は、昔から根や根茎を生薬として使っていたという。その樹液は有毒でもあったがそれがまた薬でもあったのだろう。まさしく仙人の仙人たる所以。

 

わたしはこの花を、花の少ないこの季節の切り花として「掛け花」に活けて愛用している。

天上の霞か雲か仙人草(誰の句か不明

仙人とは俗界を離れて山中に住み不老不死で飛翔する神通力を持つ人のこととか・・・「なるほど」。


野萱草(ノカンゾウ)

2024年08月23日 | 野草

夏も盛りのこの季節、田んぼ道や川の土手でこんな花と出会ったことありませんか?

野萱草です。蕾は解熱作用、根は利尿作用、消炎や鎮痛にも効力があると言う薬草の一つです。若芽はアクもなく食感もよくおいしいとか。私は食べたことがないのですが、一昔前までは、人と植物の関係は今よりずっと密接で日常の暮らしと深く繋がっていたのでしょう。

花は、色合いこそ派手ですが飛び切り美しいという程でもなく、どちらかと言えば田舎道で出会った普段着の女の子(少女)といった印象・・。(これは私の主観ですが・・・。)

お転婆の女の子のごと野萱草

 

 

家のノカンゾウは、何の手入れもしないのに毎年同じ場所に同じように花を咲かせます。それが、いざという時には薬草になり、食料にもなり、仏花にもなる・・・まさに優しくたくましい「お母さん」のすがたもかさなりますね。

萱草の花の記憶の中の母  福田素吾

何だか、車を走らせてノカンゾウのいっぱい咲いている野原かなんかに行ってみたい気持ちになりました。

 


弟切草

2024年08月16日 | 野草

弟切草・オトギリソウ、弟を切るなんて何て物騒な名前だろう! 

誰が何処から持ってきて植えたのか定かではないが、この季節になると我が家の庭では、細い茎の先に小さな黄色い花をつけた弟切草が揺れている、写真の小さな黄色い花が弟切草、すっきりと伸び上がった茎の先に咲く花は名前と違ってむしろ繊細で可憐だ。

 

   

そもそもこの奇妙な名の謂れはこんなお話。

鷹の傷を治す秘薬であるこの植物のことを弟が誰かに教えてしまった。それを知った兄は怒って弟を殺した。「たかが薬草ごときで・・」と思うが、先祖伝来の秘薬は命と同じぐらいの重みがあった、という事だろうか?・・・、いかにも悲しいネーミングである。

この暑さの中、この花が庭の階段の登り口で揺れている姿は、おどろおどろしいよりむしろ清々しい。

 

ここまで書いた時だった。

突然、PCがサイレンのような警戒音を鳴らして「あなたのパソコンはハッキングされました。すべての機能は停止しました・・・」と叫ぶ声。

詳しくは覚えていないが、そんな意味合いの言葉が何回も何回も繰り返し響き、サイレンのような警報音が鳴りやまない! 画面もいつの間にか怪しげな画面に代わっている・・・・。

まさか自分のパソコンがハッキングされるなんて!  初めてのことだったので驚くというよりどうしたらよいのか解からず慌てた! 相談する相手もいない、茫然と画面を見つめていると画面に別枠の囲みが現れた。

「相談窓口 すぐに対処 今すぐ下記に電話 電話番号0000 マイクロソフト社」 

 

みっともないから詳しくは書かないが、

これがよく聞くなりすまし詐欺だと気が付くまでには、しばらく時間がかかった。

長い間パソコンは使っているけどどちらかといえばパソコン音痴、スマホもパソコンも車も然りだ・・。内部の仕組みなど全く分からない、それが凶器になるなんて思ってもみなかったが、現に詐欺にあっている人も多いという.。思えば弟切草のような裏切りへの報復も世界を見れば後を絶たない。世の中は目まぐるしく変化し続けているように見えるが、人間の本質は変らないという事か。

昨今の混乱した世界を見るとパソコンを初めとするATもありがたいような、ありがたくないような・・・。 

 

可愛がると実を付けるじゃがいもおくらトマトや季節になると黙っていても花を咲かせてくれる野の花々たち。 

そんなものを本当に愛おしく感じてしまう・・・ 「よっぽどのアナログ人間ネ」って言われそうだけど。


文月・イワタバコが咲いたよ

2024年07月01日 | 野草

何ということでしょう、ちょっとブログをさぼっている内に、もう七月です。

紫陽花が満開になってその前でホタルブクロが揺れている「ああ 蛍の季節だ」と思っていたのに、赤パンパスが1メートルも伸びて紫色の花を咲かせ、負けじとばかりに赤い鬼百合が2メートルもの上空から下を見下ろしている・・・、そんな初夏を迎えています。我が家の庭は雨のせいもあってでしょうか、うっとおしい程の雑草と緑に覆われてしまいました。

月日ばかりが無為に過ぎて、時に取り残された私はその後をただ訳もなく追いかけている、そんな空しく物悲しい気分になっていました。

 

今朝、雨の庭を見回っていて思いがけない発見をしました。イワタバコの花が咲いていたのです。

山じしゃ(イワタバコ ) の白露重みうらぶるる心も深くわが恋止まず  柿本人麻呂

 

万葉集にある柿本人麻呂の歌です。イワタバコは大昔から日本の山野に咲くごく自然な植物だったのでしょう。

山合いの水の滴る谷間にひっそりと咲いている薄紫の美しい花、でもなかなか出会えないこの花は、心の奥深くに留め置く恋しい人を想わせるに十分でした。現代のように赤や白やピンクの派手な花のなかった奈良の時代、意外な場所に咲くこの花の姿は十分に晴れやかで美しく貴重なものだったのでしょう。

 

我が家の花は、つくばい(手水鉢)らしき岩の割れ目に咲いています。あまり元気もなく色もさめています。もともとは井川峠の滝水の滴る岩場に咲いていたもので、そこではもっと鮮やかで生き生きしていたと思います。

岩たばこふるさと恋し滝しぶき

 


馬鈴薯の記ー3

2024年06月03日 | 日記・エッセイ・コラム

6月、3月に植えたジャガイモをいよいよ収穫する季節になった! 

緑色に茂っていた葉っぱが黄色くなってきたのだ。

さて 本当にじゃがいもは実っているか? ドキ ドキ・・・

 

結構な大きさの じゃがいも が・・!

ゴロゴロ とまでいかないけど  ポツリ ポツリ

 

 こんな感じ     思いがけぬ 結構な収穫 大成功だ!

 

庭に降り積もった枯葉を積み上げ、わずかばかりの土と肥料を撒いてできた小さな畑

そこに生まれたじゃがいもたちの3か月余りにおよぶ素敵なドラマが、

5キロほどのおいしいじゃが芋を生み出してくれた。

そればかりでない。ガサガサだった畑の土をサラサラの上質の土に変身させ、

大地や太陽や雨や風の巧みな営みを、具体的な形で私に見せてくれた!

改めて感謝、そして馬鈴薯に乾杯!

 

さぐり掘り新じゃが指に快く(荻野綺映)

さて、今日はどんな新じゃが料理をつくろうかな?


益子陶芸まつり

2024年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

恒例の益子の陶芸市!

4月27日~5月6日までの10日間、町を挙げての陶芸市、今年も行ってきました。

後半の中日だというのにメインストリートは大都会並みの人の列、羨ましいような光景です。

 

    

益子で2年間の研修を終えた後、この市に参加することを許され自己研鑽を積んでいく若い陶芸家たち・・・。

産地外で陶芸を続けている陶芸仲間の多くは作品を売る手立てがなく苦労しています。地域全体が一丸となって「陶芸」を盛り立てるこの町の在り方は、若い陶芸家を育てる意味でも貴重なものだと思います。

この祭りの意義も含めて若い陶芸家たちに「頑張れ」の声援を送りたいと思います。


馬鈴薯の記ー2

2024年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

あれから1か月

天を衝く馬鈴薯の命目に眩し

 

3月23日・植えてから1か月目

3月23日撮影

4月23日撮影

私たちの命もこんな風に成長しているのかしら?

普段気の付かない「いのち」の姿をふと見るような気がしました。

 


花(サクラ)散る

2024年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

3月29日の咲き始めから1週間(中の2日程は雨でしたが・・・)たった7日で花(サクラ)は散り始めました。

日数にしたら365分の7・・・、ほんとうに儚い花の命です。

 

雨上がりの朝、山の階段に花びらが溜まって花の階段になっていました。

花弁は水槽の中にも・・・、緑の苔の上にも・・・、家の門扉の脇にも・・・。

 

 

 

ひらひらと花びらの降り・・・雪のごと。

 

大木は下の方から緑色に変わり始めました。葉桜の季節ももう真近かです・・・!

 

さまざまのこと思ひ出すさくらかな  松尾芭蕉