たった一晩で満開の桜。
昨日は25度・本日は26度と、異常な気温が続いているせいでしょうか? 本来ならゆっくりと咲くはずの花が、堰を切ったように咲いています。この分で行くと数日後には散ってしまいそうですね。
こちらは、家の庭から見た谷津山の桜です。山の桜も満開です。
庭に咲くクリスマスローズをいれて撮りました、やまざくらはもう茶色い葉っぱを付けています。
(今回の写真は東京在住の娘からの「桜便り」のリクエストによるものです)
たった一晩で満開の桜。
昨日は25度・本日は26度と、異常な気温が続いているせいでしょうか? 本来ならゆっくりと咲くはずの花が、堰を切ったように咲いています。この分で行くと数日後には散ってしまいそうですね。
こちらは、家の庭から見た谷津山の桜です。山の桜も満開です。
庭に咲くクリスマスローズをいれて撮りました、やまざくらはもう茶色い葉っぱを付けています。
(今回の写真は東京在住の娘からの「桜便り」のリクエストによるものです)
昨夜から続いた大雨がやんだ、と思ったら今度は大風。
大風がが止んだと思ったら、今度はお日様が ポッカポカ。
気温がいきなり上がって、静岡はなんと25℃の夏日になった!
今までの緊張が突然解けたみたいに、一斉に桜の蕾が開き始めた!
木も花も草も鳥も虫も水も土も空も風も 一斉に歌い始めたよ「春」を。
春いっぱいの我が家です。
ヒメシャラの樹の下にま~るく広がった薄緑色、右上はフタリシズカ、手前がイカリソウ。
イカリソウってひょっとして「怒り草」って思いますよね。
でも、花の形を見ると分かります。イカリは「錨」船を固定する重りのような役割をするあの錨です。
花弁をグっと開いたその中心が花芯で、4本の花弁で花全体を支えた形が錨のようにみえます。
この緻密で難解な仕組みは、陶芸で再現しようとしても多分無理、神様の「いたずら」みたいなもの・・。
で、花言葉は「あなたを離さない」何たって錨ですもの!!
🥔じゃがいもを植えた。
1か月も前なのに音さたもない。
どうなっているのだろうーと心配していたら・・・、芽が出てきた!
去年だったか、食べ残しのじゃがいもから芽が出てきたので、なにげなく土に埋めておいた。芽が出て花が咲いて可愛いじゃがいもが数個とれた。おいしかった!
今年は本格的にじゃがいもを作るぞ、そう思って畑の準備を始めた。秋に溜めた枯葉を土と混ぜ肥料を入れて畑を作った、自己流で。マーケットから「あきあかり」の種芋を10個余り買ってきた。芽が少し出始めたので、20センチほどの深さに土を掘って植えた。2月21日。
ところが、その後冷たい雨が続いたり寒さに逆戻りしたりして、なかなか春がやってこない、桜ばかりか毎年咲く雑草もなかなか咲かない、早すぎたのかな、と内心心配になった。
そして1ケ月が過ぎた3月20日、ついに緑色の芽が現れた。たくましい芽だ!
じゃがいもに夢託す春の朝、うまく収穫できるといいな・・祈るような感じ!!
馬鈴薯植う汝が生まれし日の如く 石田破郷
3月も中旬というのに我が家の桜は硬いまま、花の気配もありません。何か事情があるのでしょうか?
今日も、青い空にまぶしい程の黄色レンギョウの花が咲いているというのに?
レンギョウの下には黄色いリュウキンカ
随分と久しぶりのブログです。ブログの写真の取り込みがうまくいかなくて、あれこれいじっても解決できず、中半投げ出した状態になっていました。何かの弾みに操作を誤るとパソコンはすかさず暴走を始め、私の手には負えなくなります。そんな時には(自分の能力は棚において)パソコンもスマホも嫌いになります。
この休日、娘夫婦が帰省してパソコンのトラブルをあれこれと手直ししてくれました。で、久しぶりのブログです。実は今、春の上野の展覧会の作品作りにも取り掛かっているのですが、こちらも思うようにならず、イライラ!
いろいろなことが連鎖してうまくいかなくなると「もうイヤ!」と言いたくなるのですね。
「悩みを乗り越えたところに新しい展開が見えてくるんだよ」と作陶仲間は慰めてくれます。
本当に青い空に輝く黄色い花みたいに晴やかになれたらいいよね !! ほんとにね !
信州からも下毛野からも雪だより
信州からも東京からも栃木からも大雪のメール。それもかなりの大雪らしく、会社が半退けだったとか、電車が止まったとか・・・。各地の混乱ぶりは夕方のテレビでも報じられていた。
「たまには雪もいいかな」と思うが、静岡では、めったなことでは雪は降らない。気温は下がってもいつも雨止まりだ。
ふと歳時記を見たら、クリスマスローズの雪を払ひけり 長谷川 櫂 という句が目に留まった。
白いクリスマスローズと白い雪 なかなしゃれていて美しい光景がめにうかぶ。
翌朝、庭に出て家のクリスマスローズを見た。花は、一雨浴びてますます元気、雪にうなだれる姿などどこにもない。
手入れなしの自然栽培だから、家のは言わば「ワイルドローズ」と言ったところだろう。
数本を切り取って、テーブルの上に飾ってみたら、白い花が上品でなかなかいい感じだ。
静もれて太古の夢かクリマスローズ
この花の原産地はヨーロッパで、ヘレボルス属の一種ニゲルが原種である。クリスマスの頃咲くので、いつの間にか「クリスマスローズ」と呼ばれるようになった。本来の学名 Helleborus は ギリシャ語の elenin (殺す)とbora(食べ物) の合成語で「食べると死ぬ」という意味があるらしい。中世のキリスト教文化の中では、悪魔とかかわりがあったという話も残されている。日本に輸入されてきた当時は、茶席の床の間に似合う茶花として「初雪おこし」という和名がつけられていたとか。(スマホから一部抜粋)
様々な歴史を生き延びてきた花でもあるらしいが、テーブルの上で品よく咲いているさまは美しく優雅。
早くも2月です。2月3日は節分。
節分は、悪いものを追い出して、縁起の良いものを食べて、新しい季節を迎える昔からの行事です。
創業嘉永二年(1849)加賀金澤にて百六十余年、初代からの製法を基本とし加賀名菓の伝統を今に伝える老舗
「金沢の 落雁 諸江屋 」から節分のお菓子が届きました。
節分の豆まきが始まります。
赤鬼さんと 青鬼さん
家の角には柊(ひいらぎ)と鰯(いわし)と唐辛子【とうがらし)が吊るされます。
鬼はそと 福はうち 豆まきが始まります。
これは大変! 参った! 参った!!
お家の中ではみんなが大はしゃぎ!
福の神を迎えて家族団欒、しあわせな豆まき風景です。
(このお菓子はおいしい和三盆でできています
節分の豆まきは、子どもの頃の思い出と共に、日本人なら誰でも身に覚えのある懐かしい行事です。
古くからの伝統を持つ城下町には、それにまつわる伝統のお菓子を今日に引き継ぐ老舗も残っています。この落雁も金澤に伝わるそんなお菓子です。
今年はお正月から大震災が発生、能登では伝統の輪島塗も大きな被害を受けました。日本の伝統文化が末長く継承されますよう、節分の日に祈ります。
初春はワルツに乗って晴やかに
娘がサントリーホールのニューイヤーコンサートのチケットをプレゼントしてくれた。病がちだった昨年を「さっぱりと払い落とすように・・・」という想いが伝わってきて、ありがたく頂戴した。
舞台に、盛装した50名ほどのウイーン・フイルのメンバーが登場すると、明るく軽やかなワルツの調べが流れ始める。
舞台はあっという間にウイーンの舞踏会の雰囲気になってリズムに乗って自然に体が動きだす、三拍子のワルツはまさに踊るための音楽だ。
ウイーンでニュー・イヤーコンサートが始まったのは、ナチス・ドイツ占領下の1938年のことだった。ウイーン出身の指揮者クレメンス・クライスがヨハンシュトラウスのワルツやポルカを集めたコンサートを開催した、占領下で鬱々とするウイーンの人々を鼓舞するためだったのだろう。独特な楽器や奏法を受け継いだ伝統形成を守ってのこのコンサートは、そのまま続けられて、今では新しい年の恒例の番組として世界90ケ国に報道されているという。カラヤンを初めとした著名なマイストロが指揮をしており、日本人では小澤征爾が指揮をしている。
アンコールには約束があって、3曲アンコール曲が続いた後のラデーキー行進曲では会場の手拍子が求められ、オーケストラと指揮者と聴衆とが一体となって盛況の内にコンサートは終了する。気分はすっかり晴やかなお正月気分だ。
トラデイショナルなこの舞台は、音楽と伝統を深く愛する民族の文化を強く感じさせずにはおかない。
さあ今年も頑張ろ・・・・、明るい気持ちが体の奥深くから湧き上がってくる。
君が代も我が家も無事に今朝の春 尾崎紅葉
2024年 元旦
2024年 元旦
いつものように、穏やかで平和な新年の朝でした。
朝には家族で「おめでとう」の杯を交わしお雑煮を食べ、年賀状をみて・・・
ごく当たり前に始まった2024年はごく当たり前に楽しい夜を迎えようとしていました。
そのはずだった・・・のです・・が・
午後の4時近くだったでしょうか? みんなががテレビの前に集って来る頃・・・。
突然けたたましく響く警報音、「地震です・地震です・すぐに避難してください!」
激しい口調の地震警報が何べんも何べんも繰り返されました。
そしてそれは、そのまま津波警報に変わり、
さらに 「津波が来ます・逃げてr下さい・津波が来ます・今すぐ逃げてください」
「何も持たず逃げて下さい・早く逃げて下さい・命が何より大切です・・・・」
叫ぶような悲壮な声は、まさしく恐怖が襲いかかろうとしていることを実感させました。
私たちは、目の前に来ようとしている地震と津波を想定し、ただ茫然としてテレビの画面から目が離せませんでした。
脳裏には、3・11の東日本大震災の映像が生々しく思い起こされていました。
始まったばかりの新しい年の元旦の夜のほんとう出来事でした。
思えば2023年も戦争と災害に明け暮れた年でした。
ロシアもウクライナも戦を止めず、新たにイスラエルとハマスとの戦争が始まりました。
戦死者や女や子供の傷つき悲しむ映像が映し出され、一昔前のあの日本の戦場を思い起こさずにはいられません。
地球はあちこち傷つき悲鳴をあげているというのに、人類は戦いをやめようとしない。
世界は寛容さを失い、人々は優しさを忘れ、人類はいったいどこに行こうとしているのでしよう?
いろいろな不安が心をよぎる冬の夜でした。災害も戦いももうたくさん!!だというのに。
日が短くなりました。朝の6時でも薄暗いのに、夕方5時にはもう夕闇、冬の訪れも間近かです。
こんな季節になって、ようやく一頭のアサギマダラがやってきました。はたして渡りが成功できるか心配です。
2023年11月12日午後3時撮影、於・家の庭
渡り蝶何やら淋し秋も暮れ
朝晩の気温もめっきり下がって , あっという間に山や庭の木々が葉を落と始めました。ヒメシャラもヤマボウシもエゴの木もツリバナもサルスベリも葉を落とし、あたりは一斉に晩秋の風情です。山添いの我が家は落ち葉でいっぱい、掃いても掃いてもまた溜まります。最近はその枯葉を集めて畑に埋めるのですが、それもすぐに枯葉の山!
山の樹々の中でも最も早く葉を落とすのは桜、花で散り葉で散り一年の半分は裸です。木の下は明るく日当たりがよいからか、春には紫陽花が、夏には草木が、今はツワブキが咲いています。
ありたけのひかりあつめて石蕗黄なり 細木芒角星
さくらの木の下から、青い空を仰ぐように伸び上がったツワブキの花です。
お転婆の少女のごとく石蕗の咲く
さあ秋を楽しもう! 冬の来る前に!
今年も「日展」の季節になりました。日展の入選通知は速達郵便で送られてきます。その通知を受け取るまでの数日間は何とも気持ちが落ち着か
ず、空を仰いでは幸運を祈るばかりです。
晴れた青い空・・・満開を迎えたフジバカマの花と香り・・・
空からヒラヒラと舞い降りてくる数頭のアサギマダラ・・・
そんな秋の日を「アサギマダラ日和」と名付けて、私は「日展入選通知」と重ねていました。アサギマダラが入選通知を運んでくる・・・と。
ところが、今年はどうした訳かフジバカマが満開になってもアサギマダラは飛んでこないのです。もしかしたら「私の所にだけ来ないのかもしれない・・」ふと不安になってフジバカマの植えられている農園まで車を走らせてみましたが、ここにもアサギマダラの姿はありませんでした。これは多分異常な気象(猛暑)のせいなのだ、と胸をなでおろしたのでしたが、結局、我が家の庭にアサギマダラは飛来しませんでした。でも、入選通知の方はちゃんと届きました。
2023年・改組第10回日展は11月3日に始まりました。館内はこの日のために各地から集まった人々でいっぱいです。
今年は春から体調を崩し不調と酷暑と戦いながらの作陶でした。テーマはストラヴィンスキーの「春の祭典」と決めていたのですが、なかなか思うに任せず表現不足の「春の祭典」になりました。
澄み渡る秋の空の下、国立新美術館のテラスを優しい風が通り過ぎていきます。なにげないおしゃべりをしながら、この解放されたひと時が何物にも勝る喜びなのだと、ふと気付きます。そして「来年もまたがんばろー」と思うのです。
十月・神無月。
いつものお蕎麦屋さんに行ったら庭の壺いっぱいにススキとコスモスが活けられていた。あっという間にもう秋だ!
コスモスの揺れ返すとき色乱れ 稲畑汀子
昔の暦では、十月のことを神名月と言った。日本中の神さまが神社から抜け出し出雲に集まる月だから、出雲は神有月、地方では神名月。そんなイメージも、徐々に気温が下がり日暮れが早まる季節のうつろいあってのこと。ところが昨今の気候ときたら、いきなり35度の夏から15度の秋だ。地球変動か地球温暖化か知らないが確かに何かが異常だ。
そんなことを想いながら庭に出た。
ところが、よく見ると夏の間にすっかり枯れかけていた草花が新しい芽を吹き、葉を出し、花を咲かせているではないか。草花ばかりではない、木も虫も鳥もメダカもちゃんと生きている。なんという逞しい生命力。驚くばかりの自然の対応力。
何本かは枯れてしまったが生き延びたフジバカマが花芽をつけている。
アサギマダラが来る10月下旬には,花が咲き香るだろう。
去年のことふと思い出す藤袴
ホトトギスも大部枯れて去年の半分程になったが葉裏には毛虫(ルリタテハの幼虫)が育っている。
夏の終わりを惜しむように鳴いていたツクツクボウシがいつの間にかいなくなり、代わって秋の虫の音が聞こえてくる。
強烈な太陽の下では顔を出さなかった山野の花たちが咲き始め、新米が獲れてご飯が美味しくなった。栗ご飯もむかごご飯も秋の味だ。
そういえば、麻機沼の蓮根が出始めた。蓮根は天ぷらもいいが、擦ってボールにして油で揚げて甘酢あんかけで食べるのもおいしい。
命あるものの命の連動、命の共感。
ホトトギス葉裏に蝶を住まわせて
朝、花に水やりをしていたら 虹が N I J I が ・・・
ラララにじがにじが
花にかかって
きみのきみの気分も晴れて
きっと明日はいい天気
きっと明日はいい天気
彼岸花一日早く咲きにけり
よく行くお蕎麦屋さん「八兵衛」のレジの近くに「どうぞお持ち下さい」と置いてあった夕顔の苗、何気なくそれを1本だけ頂いて鉢に植えておいたら、どんどん大きくなって、熱波続きのこのひと夏を楽しませてくれた。
夕顔の妖艶に咲く闇の中 (写真・懐中電灯で照らしてとったもの)
真夜中、夕顔は真っ白な妖艶な姿と甘い香りであたりを魅了する・・・、だが人間様は寝ていてそれを見ることがない。
翌朝、気が付くと花はもうしぼんでしまっていて、しばらくするとぽたりと地面に落ちる。
それなのに、真夜中にあんなに華やかに咲くのはいったい誰のためか? どうしてなのか? と問いたくなる。
ところがこの文章を書きながらが、ふと思い出したことがある。源氏物語の「夕顔」のことだ。夜、男性が好きな女性のところに忍んで会いに行くのは、平安の頃の習わし、男女の出会いの舞台は「夜這い」だった。当時は電灯がなかったから夜は本当の暗闇だったに違いない。そんな真っ暗な夜道を行く中、垣根か何かに真っ白な夕顔の花が咲いている、甘い香が漂っている・・・・、男はそこに美しい女性像を想い描く・・・、最高の舞台に違いない。
心あてにそれかとぞみゆ白露の光り添えたる夕顔の花
そこに主の女から手紙が届く・・・、なんと心憎い状況ではないか!
咲き終わってしぼんだ花々が何だか可哀そうな感じがして摘んで持ち帰ったが・・・・なんの役にも立ちそうにない。
夕顔のいさぎの良さや一夜花
あっという間に九月!と書いたばかりだと思っていたのにもう九月も中旬、無為な時間を過ごしていたせいか月日の流れの速さに驚かされる。
今年の「彼岸」は9月の20日から9月の26日。真ん中の23日が秋分の日で休日である。今頃書くのもおかしいけれど、ずっと「春分の日・秋分の日」は「昼夜の長さが同じ日」ぐらいにしか思っていなかった。
それが、よく考えてみると「彼岸」とは、すなわち煩悩の流れを超えたあちらの地、つまり涅槃の地であり悟りを意味するのだと気が付いた。それは、多分人間が長い歴史の中でたどりついた宗教的な叡智・・・・・、人の生と太陽の動きを重ねることで彼岸会の思想が生まれたのだろうと思った。これは、仏教の中でも日本独自のものだそうで、日本人の自然観が表れていて面白い。
閑話休題・
そんなことはいいとして、草ぼうぼうの庭の草をむしっていたらご覧のような集団にぶっつかった。
1週間後に花を咲かせるつもりらしい彼岸花たちだ。
今日は9月13日、ひょっとっすると人間よりもずっと精緻に天地の真理を生きているんじゃないかしらなんて・・・思ってしまった。
あらはなる秋の光りに茎のびて曼殊沙華ただひたすら高く