私たちはマレーシア・コタキナバルを後に、一路タイのチェンマイに飛びました。
ここからはタイの話です。チェンマイは、タイの首都バンコクから北へ約720キロ、タイ北部の最大の都市です。北は中国・ラオス・北東にはミャンマーと、東南アジアの国々の真ん中にあって、山々に囲まれた自然豊かな歴史の街です。
チェンマイの最古の寺院「ワット・チェンマン」
チェンマイは、13世紀後半タイ北部を支配したメンラーイ王によって作られました。王は、1296年に「チェンマイ」に都をおいてランナータイ王国を建国したのです。
上の写真は、そのメンラーイ王が建設したという「ワット・チェンマン」です。チェンマイでは最も古い寺院だそうで、損傷も激しいのですが、入り口を飾る竜の姿や塔を取り巻く象たちのリアルな姿が、何故か当時のランナータイ王国の様子を想像させます。
パゴダの中段の部分です。本物と同じくらいの大きな象が塔の周囲をぐるりと取り巻いています。すでに壊れかけている象もいますが、その数15頭。いろいろなパゴダを見てきましたがこんなにたくさんの象がいるのを見たのは初めてです。
象はタイのシンボル ? タイは象の国 ?
タイでは、象は大昔から人々の暮らしと深くかかわってきました。人々は象を飼いならし、木材を運ばせ、農作業を手伝わせ、移動する時の乗り物として使いました。タイの昔の国旗には赤字に白い象が描かれています。しかし、13世紀に建てられたこのパゴダの象を見ていると、それだけではなく、何か別な意味がありそうに思えます。
1300年代といえば、日本でも国家統一を目指して戦乱の続いた鎌倉時代です。東南アジアのランナータイ王国でも、王朝は決して安泰ではなかったでしょう。その証拠に、王朝は、南のスコータイ王朝、ビルマのアユタヤ王朝、バンコク王朝などとの戦いに巻き込まれています。
当時の日本の戦いの戦力が馬であったように、タイでは象が大きな戦力だったに違いありません。馬に乗って敵陣に乗り込んだ日本の戦士のように、時速40キロで走る象に乗って戦う戦士の姿を想像してみてください。それが大群となって戦う様はまさにいちだいスペクタルだったことでしょう。
・・などと想像してみたのですが、それが正しいかどうか気になって、ちょっと調べてみました。すると、1277年「ンガサウジャの戦い」で、元がビルマのバガン朝の「戦象」と戦ったという記録がありました。「戦象」とは、軍事用に使われた象のことで、突撃で敵を踏み潰すか、敵の戦列を破砕するのに使われた象たちのことです。「戦象」を最後まで使ったのもタイ王朝でした。象の背中に小型の大砲を背負わせて戦わせのだそうです。
寺院の正面、左上の象は形がないくらいに壊れている
このワット・チェンマンの象たちも、きっと勇ましく国を守ったシンボルなのだと私には思えたのでした。
数年前、チェンマイからバンコクまでを車で旅しました。それは焼き物の歴史をたどる旅でしたが、その時スコータイ王朝の遺跡を訪ねました。王朝を取り巻くたくさんの建物や仏像が廃墟と化して佇んでいました。戦いで破壊された「つわものどもの夢の跡」です。その記事は、ブログの「タイレポート」に記してありますのでご参考までに。
次の機会には、チェンマイの山奥のジャングルをタイ象に乗って歩いたことをレポートをしますね。