日の出が遅くなった。ちょっと前までは5時起きして庭の草取りをしたりもしていたのに、今朝などは6時のアラームが鳴っても起きる気がしない。気温もグッと下って今朝など20℃。秋の山野草が咲き始めた。写真はイワシャジンだが、やや薄紫色の花は優雅で釣鐘状の形と相まってなかなか美しい。富士山を中心にしたフォッサマグナの比較的に狭い範囲だけに咲くといわれる山野草だが、その気品ある姿を「いいな」と思って眺めている。
紫色の花を見ながら「どうして人はむらさき色にひかれるのだろう?」とふと思った。
なるほど、ギリシャやローマでは、貝紫からとる紫をロイヤルパープルとして3600年も前から敬っている、日本だって聖徳太子の冠位12階の最高位は紫色だ。そればかりではない、紫式部の書いた源氏物語の女主人公は紫の君だし、清少納言は「すべて なにもなにも 紫なるものはめでたくこそあれ 花も 糸も 紙も 」と言っている・・・。
手持ちの日本の色辞典(吉岡幸雄著)をみると、深紫 古代紫 江戸紫 浅紫 紫鈍 等々と色の濃淡を表す名がずらずらと並び、さらに 藤紫 杜若(かきつばた)菖蒲 菫 葡萄 紫苑 藤袴 桔梗(すべて色がつく)等々と花による色の呼称もたくさん並んでいる。一口に紫といっても、その日の天候や儀式の格や着こなしの色目の合わせによって、無限の組み合わせと規則があってのことだろうが、その奥の深さには思わずため息が出てしまう。
ついでに、今庭に咲いている藤袴でいえば、どんな紫色をさしているのか調べてみた。
藤袴は早秋に白に近く紅がかった紫色の小花をつける、その花の色を「藤袴色」という。イワシャジンとはまた違う種類の紫なのだ。
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紫色の花は「美しいな」と思う、でも、私は紫色の服を着た記憶がない。「色白の美人タイブじゃないから紫は無理!」といえばそれまでだが・・・、自然の中で見る紫と着衣の紫とではちょっと違うよ、というのが現代人としての感覚。
が、「紫」を美とする心をずっとずっと遠い祖先のDNAから無意識の内に引き継いでいて、それが私の美意識の底流にあるのかもしれない・・・などと思ってしまった。