2001. 9.11、あの日、ボストンから帰ったばかりの姪と一緒に、テレビの前に釘づけになってテロの報道を見つめた。姪はアメリカに残してきた友人知人たちの安否を自分のことのように心配していたが、私は、アメリカに対するイスラムの憎しみの構造のすさまじさに唖然としながらも、自分とは直接に関係がないことと冷静だった。
今朝、イスラムに拘束されていた後藤さんが殺害されたとの報道をきいた。
日本中の人々が、いえ世界中の人々がかたずを飲んで見守る前でのことだ。胸がキューンと締め付けられた。重たいものが胸の奥の方につかえて離れない。これは、まさしく日本人への挑戦だ。
誰かが、これは日本への「 9・11」だと言った。
どうして日本人がこのような報復の標的にならなければならなかったのか、もっと言えばこれだけみんなが釈放を願っていたのに、なぜ後藤さんを殺されなければならなかったのか、私には理解できない。
しかし、今回つくづくと思ったことは、私たちは中東の国々についてあまり教えられてこなかったということ。イスラム教についても、中世から続く国境争いの紛争の歴史についても、今に続くという民族間の紛争についても、中東の国々の持つ複雑な事情についても、あまりにも無知であった。同じような理由で、現在のトルコのおかれている事情も、囚人解放の決断の付かなかったヨルダンの抱える事情も、判っていなかった。
今、私たちが当たり前にようにしている平和が、世界に共通のあたりまえでないことも判っていなかった。 憎しみの連鎖は増殖し、殺しても殺してもとどまることがないのだとしたら、人は一体どう生きたらいいのだろうか? 考えてしまった。
看守が栄養補給に良かれと思い与えたゴボウは、捕虜にとっては敵からの嫌がらせの木の根としか受け取られなかったのです。
文化の違いがもたらす誤解を受けとめ、冷静に対処していく術を身につけることが、国際理解の第一歩なのかもしれません。
今回の出来事では、イスラム国を名乗る人達が、長い長いイスラムの歴史や文化を貶めていることに憤りを感じます。
誤解がさらなる悲劇を生まないよう望みます。